特徴と風土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 19:52 UTC 版)
満映は「日満親善」、「五族共和」、「王道楽土」といった満州国の理想を満州人に教育することが主な目的であるとされた。満映製作の映画は日本の文化を紹介する文化映画や啓蒙的な映画、プロパガンダ映画が多く、あまり大陸では人気がなかった。満映には一種独特な「官僚的雰囲気」があり、それ以前の問題として映画の文化的土壌さえも無かった。楽天家で知られ、東映の社風を作った男とされる名プロデューサーのマキノ満男でさえ、往時を回顧すると『泣いて帰りたいときもあった』としている。 実務においての甘粕は計画的で判断力にすぐれた能吏であったが、紹介により入社した直木賞作家橘外男を前に『紹介者の顔を立てて入社は了解したが、あなたにぜひ来て貰いたくて呼んだわけではない』と告げてしまうなど、官僚ならではの狭量で潔癖にすぎる点があった。職人気質の強い映画界では、筆頭理事の根岸寛一のほうが度量で部下を引き付けた。甘粕自身もその点は認めていた為、衝突はなかったとされる。 現地での映画作成が目的であるため俳優だけでなく中国人監督や脚本家も採用したが、その待遇の面では日本人と比べると格段の差があり、甘粕は「ある程度」は是正したが最後まで溝は埋まらなかった。 李香蘭の発掘などで満州人からの人気獲得を狙い、娯楽映画へ力を注ぐ。しかし映画の内容は日本で作成された映画の焼き直しなどが多く、見るべき点は少ない。ただ、日活多摩川撮影所時代が終焉に向かい、国内の空気が厳しくなった時代に映画人らが大陸でクリエイティブな意志を守り続けた点は、評価されよう。これが、戦後に一大映画ブームを生み出す一因となった。 先程の筆頭理事の根岸寛一によれば、『謀略の資金の多くは、彼(甘粕)の管理する満映からでていた』との証言もある。
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