漢民族の歴史的な地域概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/29 00:33 UTC 版)
「チベットの領域に関する認識と主張」の記事における「漢民族の歴史的な地域概念」の解説
チベットに対する中国語の呼称としては、吐蕃以来、「吐蕃」が用いられてきた。17世紀末、清代の文献にも、当時チベットを支配していたダライ・ラマやグシ・ハン王朝の勢力を「吐蕃」と呼んだ例がみられる。 「吐蕃」を参照 このほか、チベット全体をさす清代の漢字表記としては唐古特、土伯特などもある。 これに対し、漢籍における「西蔵」という呼称は、チベットの西南部二分の一程度を占めるタンラ山脈以南、ディチュ河(金沙江)以西の地域に対する呼称、もしくはダライラマ勢力の代名詞としての用例が大部分であり、チベット全土をさす呼称として用いられた例はきわめて少ない。 詳細は「西蔵」を参照 以下は、中国国内で活動する宗教団体による2008年の用例。チベット全域を指す呼称としては「藏区」が用いられ、「西藏」はその一部分と認識されている。 チベットと言えば、人々は祖国の南西辺境にある青い空と白い雲の下に比類なくそびえ立つ「西藏」をとても自然に思い起こす。そこでは悠揚と念仏が唱えられ、経文を印刷した旗が僧院の金瓦の屋根に翩翻とたなびいている。ツァンパや牛・羊の肉を食べ、バター茶やチンコー酒を飲み、酸素の希薄な高原の大気と強烈な紫外線にさらされて、私は肌が浅黒く、身体壮健な、馬を自由に駆るチベット族同胞と向き合う・・・。「西藏」が中国チベットの中心であり、世界仏教のなかで独特の一大体系をなしているチベット仏教の聖地であることは疑いもない。しかしながら、中国チベットは、「西藏」だけがそうなのではなく、チベット高原の東部・東北部外縁の青海、甘粛、四川、雲南等の省内の草原上に位置するものであり、そして広大な「チベット族」の「集住地域」に広がっているものなのである。チベット民族の伝統的な習慣では、この(=「チベット」)の中には「アムド人のチベット」と「カム人のチベット」も含まれ、これらは過去に「衛藏」と呼ばれた「西藏」とともに、中国の「3チベット」を形成しているのである。
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