演出家への転身とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 演出家への転身の意味・解説 

演出家への転身

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/02 02:44 UTC 版)

小崎政房」の記事における「演出家への転身」の解説

新宿ムーランルージュでの1年過ぎた1935年昭和10年)、巣鴨撮影所をもつ、河合徳三郎大都映画入社主演映画の旅』に松山 宗三郎の名で出演し同作同年1月25日公開された。大都映画剣戟スターとして活躍する一方で1937年昭和12年)、山本嘉次郎木村荘十二大谷俊夫ピー・シー・エル映画製作所P.C.L.)で監督した菊池寛小説映画化作品日本女性読本』の共同脚本小崎 政房名義参加同作同年5月21日公開された。P.C.L.同年9月10日合併して東宝映画となり、そこでも翌1938年昭和13年)、岸松雄監督岡田監督作品計2本の現代劇脚本に「小崎政房名義参加している。 同年大都映画製作した水島道太郎主演現代劇級長』で、オリジナル脚本書き吉村操監督スーパーヴァイズのもと、「小崎政房名義映画監督としてデビュー同作同年11月24日公開された。大都映画では、1940年昭和15年3月21日公開の『神竜長州義士 後篇』まで、合計100本の映画に「松山宗三郎名義出演し1942年昭和17年1月7日公開の『疾風馬車』まで合計13本を「小崎政房名義監督した大都映画同年1月戦時統制のため合併し大日本映画製作大映となったが、小崎監督として残留巣鴨撮影所閉鎖され多摩川大映第一撮影所異動戦時中に2本の映画監督した1945年昭和20年8月15日38歳第二次世界大戦の終戦迎えた1946年昭和21年)、田村泰次郎小説肉体の門』を舞台化演出し大ヒットする。1948年昭和23年)、太泉スタジオ現在の東映東京撮影所)で、同社第1作大ヒットした舞台肉体の門』の映画化企画ムーランルージュ同僚小沢不二夫脚本を書かせ、自らが監督する予定だったが、主演轟夕起子の夫でヴェテラン監督マキノ正博監督任せ同作同年8月10日公開された。その後監督作品は2本に終わった1982年昭和57年6月22日死去する。満75歳没。

※この「演出家への転身」の解説は、「小崎政房」の解説の一部です。
「演出家への転身」を含む「小崎政房」の記事については、「小崎政房」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「演出家への転身」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「演出家への転身」の関連用語

演出家への転身のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



演出家への転身のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの小崎政房 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS