漁業と自然
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 02:38 UTC 版)
漁業も行徳の伝統産業である。江戸時代にはバカガイがたくさん獲れたことから、「馬鹿で人擦れがしている」という意味で「行徳の俎」という言葉が生まれ、夏目漱石の『吾輩は猫である』にも登場する。 高度経済成長期には水質の汚濁や埋め立てによって漁獲量が激減したが、現在でも三番瀬において主に海苔の養殖とアサリ漁が行なわれている。ただし三番瀬埋め立て計画や第二東京湾岸道路建設計画があり、今なお行徳の漁業は存続の危機に立たされているといってもよい。 市川市新浜には行徳近郊緑地特別保全地区があり、宮内庁新浜鴨場と「市川野鳥の楽園」がある。新浜鴨場にて皇太子徳仁親王が小和田雅子に求婚した。 本行徳の江戸川第一終末処理場予定地には、20年以上に渡って大量に投棄された残土の山がある。市川市当局が1980年に「土砂等による土地の埋設、盛り土及び堆積の規制条例」いわゆる残土条例を制定し、土砂などを2.5m以上に積み上げるなら市の許可が要るようにしていたが、江戸川区に本店を置く残土運搬業者が市川市の再三に渡る指導を無視し、地権者にも無許可で搬入を続けた。高さは40m近くに達し、皮肉を込めて「行徳富士」と呼ばれている。今日では植物に覆われ、自然の山のような外観になっている。なお、里見公園内に「市川市最高標高地点(標高 30.1m)」の標柱があるが、「行徳富士」はさらに9メートルほど高く、事実上市川市の最高地点と目される。 周辺住宅への砂塵公害の原因にもなっており、市は廃棄業者に残土の撤去と損害賠償を求め、裁判で勝訴したが、業者はこれに応じていない。このため2007年に市と地権者は差し押さえられた残土を買い取ることで問題の解決を進めている。しかし、残土には鉄骨鉄筋や石臼、タイル、茶碗などの欠片までもが混じっていて、撤去に関しても課題が残る。
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