漁業と漁協の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:19 UTC 版)
真珠養殖がもたらされるまで、立神村で漁業を専業とする家はなく、1903年(明治36年)の立神漁業組合発足時の組合員は38人、組合長は立神村助役が兼務し、組合員の主な漁獲物は貝類・ヒラメ・ウナギであった。また、イワシや肥料用に海藻を獲ることもあった。1905年(明治38年)に村と漁業組合が御木本幸吉と区画漁業権の契約を結んで以降、真珠養殖業は急速に発展し、1925年(大正14年)の漁業権更新時に村民は御木本から漁業権を取り戻す運動を展開した。この運動の過程で漁業組合長は村長の兼務となり、村民全戸が漁業組合に加盟することで、村の自治組織と漁業組合は異名同体となった。 第二次世界大戦後、漁業組合は漁業協同組合(漁協)に、立神村は阿児町の立神区に変化したが、立神区長は漁業協同組合長を充てるという規約があり、自治組織と漁協の一体的運営は継続した。しかし、漁協は1973年(昭和48年)から1974年(昭和49年)にかけて正組合員の資格要件を厳格化して、村落共同体的性格を薄めて経済的機能集団へと転換し、自治組織(立神区)は1975年(昭和50年)に立神自治会として漁協から分離独立した。 2002年(平成14年)7月1日に立神漁協は阿児町・浜島町・大王町・志摩町(後に合併して志摩市)の17漁協と合併して志摩の国漁業協同組合になり、さらに志摩の国漁協は2010年(平成22年)2月1日に11漁協と合併して三重外湾漁業協同組合になった。2021年(令和3年)現在、阿児町立神の漁業は、三重外湾漁協安乗事業所の管轄下にある。 なお、真珠養殖は、1961年(昭和36年)5月16日設立の立神真珠養殖漁業協同組合が所管する。立神真珠養殖漁協は2014年(平成26年)8月1日に間崎真珠養殖漁業協同組合を吸収合併したため、阿児町立神と志摩町和具の間崎島を管轄している。
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