源姓 佐竹氏一門山入氏流 国安氏とは? わかりやすく解説

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源姓 佐竹氏一門山入氏流 国安氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 07:51 UTC 版)

国安氏」の記事における「源姓 佐竹氏一門山入氏流 国安氏」の解説

常陸国久慈郡国安発祥国安山入城主同地山入とも称し、城は山入城ともいった[要出典]。本姓源氏家系清和源氏一家河内源氏棟梁 鎮守府将軍源頼義三男 新羅三郎義光を祖とする常陸源氏 佐竹氏庶流 山入氏流れ常陸守護職 佐竹常陸介貞義の七男 佐竹刑部大輔師義を祖とし、室町幕府において足利将軍家直属軍団である京都扶持衆務めた山入氏系譜をひく。家紋丸に違い鷹の羽本宗佐竹氏からすれば庶流位置付けであるが、きわめて嫡流に近い家系である。また、山入氏初代 師義が足利尊氏室町幕府樹立際し、その部将として随行し播磨国討ち死にした関係から子孫である山入氏はじめ国安氏、高氏、松平氏小田野氏幕府から厚遇されたという。山入氏身分も他の佐竹庶流異なり幕府直属武家として独立性保っており、山入氏四代 山入祐義は常陸守護職にも補せられた程でその家格高かった。しかし、佐竹宗家藤姓上杉氏から義人養子とすると、異姓養子反対する山入氏勢力宗家反旗を翻し、約100年に及ぶ戦乱繰り広げられることになった国安氏山入氏与党として佐竹宗家との合戦臨み文亀2年1505年8月15日東金砂山合戦山入義藤方として討ち死にした者の中に松平上総介、高源次郎左衛門山入流の係塁および同じ佐竹一門真崎六入道、袋田筑前三郎とともに国安周防入道の名が見える。しかし、山入義藤の子 氏義、義盛が佐竹義舜攻め滅ぼされたことで国安氏佐竹宗家帰順、その家臣となった戦国時代佐竹家中の衆についての記録にも国安左重允の名が見え佐竹一門から家臣として組み込まれたことがうかがえる

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