渡来の各説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 01:24 UTC 版)
1884年万博説 米国へのホテイアオイの侵入については諸説あるが、1884年、米ルイジアナ州ニューオーリンズ市の万国博覧会(万国工業兼綿百年期博覧会(英語版))で展示されていた事例が確たる最古例とされ、通説のようになっている。しかしこれを根拠に乏しい地元伝説と捉える向きもある。 日本人関与説 さらには、当博覧会で日本人代表団がホテイアオイを土産物として配り、これが拡散につながったという説明を加える文献も多い。 20世紀前半の多くの文献では、1884年博覧会よりの拡散があったとしても、特に日本人の手によるものだとはしていない。いずれかの時期において(傍証がまったく示されずに)日本人の関与が主張されるようになった。 1940年付の軍部工兵(military engineer)向けの雑誌の記事においても、特に日本人による行為とはしていないが、1941年にルイジアナ州保全省野生生物漁業局の局長だったジェームス・ブラウン少佐が執筆した記事に、"博覧会では日本政府が日本館を出展しており、...その日本人スタッフがベネズエラより相当数のホテイアオイを輸入し、無償で配っていた"と記述した。 その後学者論文などでも"ベネズエラのオリノコ川から"採集や輸入がされた、などと同様の内容に触れている。 このうち、ある論文は、博覧会出席者が土産品を無造作に水路に投げ捨てられたために大繁殖が起こってしまったとするが、ある生物学者の記事は、園池で栽培していたもの敷地外の場所でも自生するようになってしまったと説いている。 児童向け作家のキャロル・マーシュ(英語版)(1992年)は、このとき日本人が種子("seeds")を配っていたものと特定しており、米南部の語り部ギャスパー・J・"バディー"・ストール(1998年)は、"パッケージ入りの種を"配ったとした。 異説 すでに1884年には、ホテイアオイの種苗は米国内で販売されていたことが指摘されている。こうした業者による増殖問題への貢献度の程は推し測ることはできないが、最初に持ち込んだという点でいうならば筆頭に挙げられるという。 その実例が、米ニュージャージー州ボーデンタウン(英語版)の Edmund D. Sturtevant 社発行、『 Catalogue of rare water lilies and other choice aquatic plants 』(1884年版)で、この種苗販売カタログにホテイアオイが掲載されているという。 そしてドイツの会社も視野にいれるなら、ハーゲ・ウント・シュミット社(ドイツ語版)は、創立1864年以来のカタログでホテイアオイを販売しているという。 さらには『ハーパーズ・ウィークリー(英語版)』誌(1895年)によれば、ニューオーリンズ市在住の某男性がホテイアオイをコロンビアで採集して持ち込み、これがルイジアナ州で大繁殖した、と説明している。
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