日本人の関与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 15:21 UTC 版)
一進会の活動には内田良平や日韓電報通信社長の菊池忠三郎など日本人が深く関与し、日韓合邦の要請を出すことに成功したが、最終的には伊藤暗殺や一進会に対する政府、韓国国民の反発からコントロールできなくなってしまい、菊池忠三郎によって「日韓合邦が頓挫した今、一進会は暴徒に変ずる恐れがある」という報告がされている。日本人顧問であった杉山茂丸は会の目的である「日韓合邦」が失敗し、併合された後の1921年(大正10年)に、元会員たちから自決を要求された。これを受けて杉山は、朝鮮の日本統治改革を強く訴える建白を執筆し、李容九や一進会の元会員たちを騙したことについても懺悔した。
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