日本人への強制労働(シベリア抑留)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:44 UTC 版)
「強制労働」の記事における「日本人への強制労働(シベリア抑留)」の解説
第二次大戦の終結後、ヨシフ・スターリンは「国家防衛委員会決定No.9898(俗に、スターリン秘密指令)」を極東戦線の司令官らに送り、日本人捕虜をソビエト連邦内に移送し強制労働に従事させるよう指示した:58。日本軍人の立場は正式には捕虜だったが、旧軍関係者の感情に配慮し、一般的に「抑留者」と呼ばれる。移送先も広大な地域に及んだが、これも一般的に「シベリア抑留」と呼んでいる:37。寒さや飢えなどで、5.5万人以上が死んだと言われる:43。ソ連は大戦で多くの人的資源を失っており、イワン・コワレンコ元ソ連共産党中央委国際部副部長は、抑留は戦後復興の労働力を確保するために、対日参戦前から決まっていたという内容の証言をしている:35。ロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当する量の資料が収蔵されていることが明らかになっているが、これには重複分も含まれていると見られる。200万人以上との説もある。ポツダム宣言では、武装解除後兵士を家庭に復帰させることになっていたにもかかわらず、シベリア抑留は最長11年に及んだ:105。日本人以外にも、ドイツ人やハンガリー人捕虜など、計416万人がソ連で強制労働に従事させられた:79(シベリア抑留)。
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