消火隊長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 16:38 UTC 版)
1997年7月1日の香港返還直後にアジア通貨危機が起きると香港経済は大打撃を受け、その後背にある中国で最も対外貿易が多い広東省にも影響は波及した。中国建設銀行改革の実績などから王は、同年9月の第15回党大会で党中央候補委員に選出され、広東省党委員会常務委員として同省に赴任、翌年には広東省常務副省長に就任し、金融を主管して広東国際信託投資公司(GITIC)と粤海の債務処理問題では、王は中央の助けを得ず、香港経済を混乱させずに問題を処理した。 1999年1月10日に王は債務超過の深刻なGITICを破産及び倒産させたが、これは政府の補填で国有金融機関の償還が肩代わりされてきた従来の政策を改め、政府の信用と企業の信用を分離するものだった。一方、国外の集団公司である粤海については香港市場への影響を配慮して債務不履行させ、これに抗議する外国債権者に対して王は「どこにでも訴えるがいい。中国広東省ではそちらに勝ち目はない」と強談判し、2002年12月に外国債権者と粤海の再建で合意し、さらに中国人民銀行から380億元の融資を受けた広東省は金融危機を乗り越えて安定化した。同時期、外国債権者との粘り強い交渉に協力したゴールドマンサックスのCEOだったヘンリー・ポールソン(後のアメリカ合衆国財務長官)と親交を結んだ。 国際金融センターである香港と改革開放のモデルたる広東省の金融危機を収束させた経済手腕を買われた王は、2000年に国務院経済体制改革弁公室主任・党組書記に抜擢され、2002年11月の第16回党大会で党中央委員に昇進。11月23日、海南省党委書記に任命され、同省人民代表大会常務委員会主任を兼任した。 2003年に新型肺炎SARSが蔓延し、北京では患者の隠蔽問題によって当時の市長の孟学農が更迭された。王は北京市に移り、同年4月20日に市党委副書記に就任、4月22日には市長代理を兼任して事態の沈静化に成功した。広東の金融危機とSARS問題を鎮めた王は、「消火隊長」「火消し役」と呼ばれるようになる。 2004年2月に第12期北京市人民代表大会第2回会議において正式に北京市長に選出された。北京市長在職中は、北京市オリンピック組織委員会執行主席として2004年アテネオリンピックの閉会式で当時のジャック・ロゲIOC会長から五輪旗を引き継ぎ、2008年北京オリンピックの準備に当たった。2007年10月の第17回党大会で党中央委員に再選された王は、10月22日に開催された第17期党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)で党中央政治局委員に選出される。同年11月29日に北京市長兼市党委副書記を退任した。
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