海賊・沈没船・森林火災
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:40 UTC 版)
「マラッカ海峡」の記事における「海賊・沈没船・森林火災」の解説
詳細は「マラッカ海峡の海賊」を参照 近代以降、マラッカ海峡は東アジアと中東・ヨーロッパなどを行き交う各国船舶にとって死活的に重要な航路となっているが、近年、海峡を利用する商船に対する海賊行為が横行している。1994年に25件だった船舶襲撃は、2000年には220件に激増し、2003年には150件以上、2005年でも世界全体の約37パーセントにあたる102件の海賊事件が発生した。 2005年(平成17年)3月14日、現地で日本籍のタグボート「韋駄天」が襲撃され、日本人船長と機関長、フィリピン人船員3名を連れ去り、拉致事件が発生した(同3月21日に解放)。また、1999年(平成11年)にも同様に日本の船が海賊に襲われるという事件が起こっている。 船に対する危険は海賊だけでなく、浅瀬などでの難破もある。海峡内には1880年代以来の難破して沈んだ船が少なくとも34隻あるとみられており、航路の障害となっている。 また、スマトラ島では生活における失火や焼畑農業を原因として森林火災が毎年のように発生し、立ち上る煙はヘイズと呼ばれマラッカ海峡を越えてマレーシアにまで達している。濃い煙が流れてくると、海上はわずか200メートルほど先しか見えなくなり、船は速度を落として運航せざるを得ない状況にある。 さらに第二次大戦が終結した1948年の2月に海峡でオランダの汽船「オーラン・メダン号」がSOSを発信し、「船長を含む全士官が死んだ」との謎のメッセージを受信し、救助船が現場に急行したものの乗り移ったオーラン・メダン号はさながら死体置き場のようになっていた。どの死体も顔に恐怖の色が浮かんでおり、船長の愛犬さえも同様に死んでいる有様だった。死体にはいずれも暴力や怪我の跡は認められなかった。最寄の港へ船を曳航しようとしたところ、突然オーラン・メダン号は爆発・炎上して沈没してしまい、救助に駆けつけた者たちは慌てて避難しなければならなかった。船員が死亡した理由は現在に至るまで解明されていない。
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