浅草オペラから映画スターへとは? わかりやすく解説

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浅草オペラから映画スターへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/04 18:35 UTC 版)

里見明」の記事における「浅草オペラから映画スターへ」の解説

1901年明治34年5月16日東京府東京市本所区向島須崎町現在の東京都墨田区向島4-5丁目のあたり)に生まれる。兄はのちの映画監督松本英一である。築地工手学校現在の工学院大学予科修了後、太平洋画会現在の太平洋画会研究所)で洋画学んだが、兄同様に芝居転向していく。 佐藤紅緑劇団日本座」に入団し函館初舞台踏み浅草公園六区の「観音劇場」、新日本劇団経て、「浅草オペラ」の根岸大歌劇団入団、「小松明」名で一躍人気集めた1923年大正12年4月、兄の帝国キネマ芦屋撮影所入りとともに俳優として入社する映画俳優里見明としてのデビューは、同年8月5日公開松本泰輔主演作『親なき雀』で、兄の監督としての入社第1作でもあった。 1924年大正13年8月14日公開された兄の監督作籠の鳥』は帝キネ始まって以来メガヒットとなり、主演沢蘭子とともに里見の名を不動のものにした。翌1925年大正14年1月14日帝キネ内紛60数名集団退社アシヤ映画製作所設立参加したほどなく内紛収まり帝キネ芦屋復帰する1926年大正15年)、1本だけ映画監督している。自らの脚本による主演作美しき敗残者』である。同作1月15日帝キネ正月第2弾作品として公開された。最初で最後監督作である。 1927年昭和2年12月同社退社東京河合プロダクション設立に、兄とともに参加する河合設立第1回作品は、松本英一里見明兄弟の兄監督、弟主演作青春散歩』で、1928年昭和3年3月1日浅草キネマ倶楽部」および神田新声館」ほかで公開された。同作少女女優琴糸路デビュー作でもあった。

※この「浅草オペラから映画スターへ」の解説は、「里見明」の解説の一部です。
「浅草オペラから映画スターへ」を含む「里見明」の記事については、「里見明」の概要を参照ください。

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