浅草オペラ発祥と笑の王国
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1916年(大正5年)5月1日、常盤座は、1911年(明治44年)10月1日開業の「金龍館」、1913年(大正2年)開業の洋画の封切館「東京倶楽部」の2館とともに、「3館共通入場券」(2階20銭、1階10銭)を導入した。いずれも根岸興行部の経営する劇場である。 同年5月、帝国劇場洋劇部が解散し、同年9月に高木徳子が伊庭孝らと結成した「歌舞劇協会」の浅草での公演を引き受けたのが、この「常盤座」で、1917年(大正6年)1月22日、オペラ『女軍出征』を上演、大ヒットする。これが「浅草オペラ」のはじまりとされる。その後は、おもに「金龍館」が「浅草オペラ」の舞台になり、根岸興行部は、1920年(大正9年)9月3日、金龍館に「根岸大歌劇団」を設立する。 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で常盤座、および根岸興行部は大打撃を受け、根岸興行部はいっさいを失い、松竹傘下に入った。1924年(大正13年)3月には「根岸大歌劇団」は解散、松竹の経営下で常盤座は、金龍館、東京倶楽部とともに復興した。常盤座は、帝国キネマ演芸の封切館、金龍館は軽演劇の実演興行、東京倶楽部は洋画の二番館(旧作興行)となった。 1933年(昭和8年)4月1日、古川緑波(古川ロッパ)、徳川夢声らが常盤座で、軽演劇の劇団「笑の王国」の旗揚げ公演を行なった。以来、1943年(昭和18年)6月の同劇団解散まで、常盤座を根城にした。同年5月、松竹がパラマウント映画と設立・運営していた松竹パ社興行社がパラマウントが撤退、同年6月からSYコンパニー(松竹洋画興行部)が発足、常盤座は新宿昭和館とともにこの系列に加えられた。
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