法案審議とその後の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 10:42 UTC 版)
「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」の記事における「法案審議とその後の経緯」の解説
1972年4月8日の参議院予算委員会で首相の佐藤栄作は、西山事件に際して、「国家の秘密はあるのであり、機密保護法制定はぜひ必要だ。この事件の関連でいうのではないが、かねての持論である」と主張した。 そこで、スパイや内部告発などによる国家情報漏洩を防ぐ目的での立法が、与党・自民党内において1980年代前半から活発に議論されるようになり、当時の内閣の元でその気運が高まった。しかし本法案が一般国民の権利制限に直結する法律であることや報道の自由が侵害されることに対する懸念から、大多数のマスメディアが反対に回った。そのため、政府は内閣法案(内閣法第5条に基づき、首相が内閣を代表して国会に提出する法律案)として提出することを断念したものの、通常国会の閉会を間近に控えた1985年6月6日に伊藤宗一郎ら10名が衆議院に議員立法として法案を提出した。 これに対し、当時の野党(日本社会党・公明党・民社党・日本共産党・社会民主連合他)は断固反対を主張。また自民党内部でも谷垣禎一が「わが国が自由と民主主義にもとづく国家体制を前提とする限り、国政に関する情報は主権者たる国民に対し基本的に開かれていなければならない」と述べるなど、法案は継続審議となるが、10月に開会した第103回国会でも野党は徹底して審議拒否を貫き、12月21日の閉会に伴い廃案となった。1988年2月19日も、自民党四役が国会提出を断念した。リクルート事件による支持喪失が大きな原因だった。翌年は第15回参議院議員通常選挙で自民党は大敗した。 その後、2001年に自衛隊法が改正されて、従来の第59条における「秘密を守る義務」規定に加え第96条の2に「防衛秘密」規定が新設され、廃案となったスパイ防止法案の一部と同趣旨の規定が盛り込まれた。2003年5月に個人情報保護法関連五法が成立。2007年2月には航空自衛隊の一佐が読売新聞記者に機密情報を漏洩し、この規定に違反したとして警務隊が事情聴取や家宅捜索を行ったと報じられている。 近年では、2008年に結成された改革クラブ(現・新党改革)が公約としてスパイ防止法の成立を掲げていた。また2011年10月、民主党政権の野田内閣が「秘密保全法制」を提案した。2013年の第185回国会で「特定秘密の保護に関する法律案」(特定秘密保護法案)が第2次安倍内閣によって提出され、同年12月6日に成立した。
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