法則の妥当性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 05:11 UTC 版)
ある法則に当てはまらない物事が新たに見つかると、その法則は適用範囲が限定されたり、修正されたり、新たな法則に置き換えられたり、廃棄されたりする。 「法則」という呼ばれ方をするからといって必ずしも絶対性を持つとは限らない。例えば、「ゴルトンの法則」のように科学的な立場からは既に否定されたもの、「定比例の法則」のように例外が少なからずあるもの、「ムーアの法則」のように将来破綻することが予測されているものなどがある。 「例外のない法則はない」という戒め 英語の諺に “例外のない法則はない (There is no rule without exception.)” という表現がある。経験則の蓄積を重んじ、例外のない普遍的な一般原理というものに心の隅で胡散臭さを感じるイングランド的な経験主義によって成立した諺である。命題を「法則」と呼んでしまうと、人というのは、ついついその命題の妥当性を絶対視したり過信しすぎる傾向があるため、それを戒めるための言葉である。同様の言い回しに “法則を立証する例外 (exception that proves the rule(英語版); exception to proves the rule)” という言葉もあり、イングランド的経験主義では、例外が存在することで却ってその法則は説得力を持つ。 ただし、「例外のない規則はない」はラテン語(Nulla regula sine exceptione.)でもドイツ語(Keine Regel ohne Ausnahme.)でも言うのでイギリス特有かは疑問であり、また “例外は規則を証明する (The exception proves the rule.)” という諺ならばドイツ語(Ausnahmen bestätigen die Regel)にもフランス語(L'exception confirme la règle.)にもあり、これが「例外があるのは規則のある証拠」と翻訳されがちなのは後世に誤解された意味である。元はキケロー「バルブス弁護」にある “exceptiō probat rēgulam in cāsibus nōn exceptīs” (例外は例外でない場合の規則を確認する)に由来し、除外規定に定めのないことは原則を適用すべしというラテン語法諺になった。英語の場合、ラテン語probōを語源とするproveは「証明する」ではなく「試す」「確かめる」という古義、testの意味であった。この諺について言語学者ウォーフは、「形式論理の立場からすると,‘prove’ということばが「(正当性,力などを)ためそうとする」という意味でなくなったとたんに、つじつまの合わないものになってしまった。」「それが今日われわれにとって持つ意味は,もし規則に全く例外がないのなら,それは規則でも何でもなくなってしまう,そうなれば,それは経験の背景の一部となってしまい,われわれによって意識されなくなりがちである,ということである」と説いた。 そもそも、法則(英:law、独:Gesetz)と規則(英:rule、独:Regel)の区別も問題で、法則の厳密性と違って規則は例外をゆるすものとして混同を避ける向きもある。
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