法制上の業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:20 UTC 版)
「ユスティニアヌス1世」の記事における「法制上の業績」の解説
詳細は「ローマ法大全」を参照 ユスティニアヌスは、司法改革によって永く続く名声を勝ち得た。なかでも、これまで試みられることのなかったローマ法の完全な改訂で知られる。その法制の集大成が今日『ローマ法大全』(Corpus Iuris Civilis)として知られるものである。これは『勅法彙纂』(Codex Justinianus)、『学説彙纂』(Digesta または Pandectae)、『法学提要』(Institutiones)、そして『新勅法』(Novellae)からなる。 治世の初期、ユスティニアヌスは財務官トリボニアヌスをこの仕事の主査に任じた。2世紀以降の帝国諸法を成文化した勅法彙纂の最初の草案は529年5月7日に発布された。最終版は534年に発布されている。533年に過去の法学説を編纂した学説彙纂が出され、そして主要な法律を解説した教科書である法学提要が続いた。ユスティニアヌス治世下の新法を編纂した新勅法がローマ法大全を補足している。他の大全とは対照的に、新勅法は東ローマ帝国内の一般語であるギリシア語で書かれている。 『ローマ法大全』はラテン法哲学(教会法典を含む)の基礎を形作り、歴史家に後期ローマ帝国の関心と活動に関する価値ある見通しを提供している。編纂物としてこれは正式な法律、元老院の協議(senatusconsulta)、勅令、判例そして法学者の意見と解釈(responsa prudentum)といった著述または発布された法(leges)と、その他の規則からなる多くの資料を集積したものである。 トリボニアヌスの法典はローマ法の存続を確保した。バシレイオス1世とレオーン6世の時代に編纂された『バシリカ法典』(βασιλικός)で述べられているように、これは東ローマの法律の基礎となった。西部の地方でユスティニアヌス法が導入されたのはイタリアだけだったが(征服後の554年に出された国本勅諚による)、ここから12世紀に西ヨーロッパへ伝わり、多くのヨーロッパ諸国の法典の基礎となった。これは最終的には東ヨーロッパにも伝わりスラブ語版が著され、そしてロシアにも伝わった。ローマ法大全は今日にも影響を残している。
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