泉親衡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/08 15:10 UTC 版)
泉 親衡(いずみ ちかひら、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の信濃国の武将[1]。鎌倉幕府御家人。信濃源氏の泉次郎公衡の子[2][注釈 1]で泉親衡の乱の首謀者。通称は小次郎。名を親平とも書く[3]。
注釈
出典
- ^ a b c d “【泉親衡(いずみ・ちかひら)】” (日本語). 朝日日本歴史人物事典(菅野文夫). 2013年5月24日閲覧。
- ^ a b c d e f “いずみちかひら【泉親衡】” (日本語). 世界大百科事典 第2版. 2013年5月24日閲覧。
- ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編 『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、108頁。
- ^ 泉区小史編集委員会 1996 pp.74
- ^ 「長福寺と伝泉小次郎館跡」横浜市泉区公式HP
- ^ 平井 1980 pp.306-307
- ^ “長福寺と伝泉小次郎館跡”. 泉区. 2022年10月5日閲覧。
- ^ “指定・登録文化財目録”. 横浜市教育委員会 (2020年5月29日). 2022年10月5日閲覧。
- ^ 埋蔵文化財センター『泉中央公園遺跡発掘調査報告書』(2017年)7ページ
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