源為公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 01:17 UTC 版)
源 為公(みなもと の ためとも、寛弘2年(1005年)-承保2年(1075年)4月11日)は、平安時代後期の武将。甲斐守源為満の子。母は河内守源頼信女。信濃源氏、伊那源氏の祖。
- ^ 『神氏系図』の記載では「信濃権守」。
- ^ 旧伊那郡南部にあたる現在の飯田市八幡町にある鳩ヶ嶺八幡宮は前九年の役の最中の康平5年(1062年)に為公が石清水八幡宮を当地に勧請したものであるとされる。
- ^ 神為仲の後裔は諏方氏の嫡流から外れたが、為公の長男・為衡の後裔は神(諏方)氏の庶流・知久氏となって存続しており、また『尊卑分脈』清和源氏系図では次男・為扶の後裔として「手塚次郎輔光」「手塚太郎光頼」がみえ、さらに四男・為実の後裔に鎌倉期以降の諏方・手塚氏の系譜を載せることなどから、その後も伊那源氏と諏方・金刺一族が深い繋がりを有したことが窺われる。なお、近世の高島藩主家は為公の後裔(清和源氏満快流)を称した。
- ^ 『尊卑分脈』では次兄・為扶の三男ともしている。
[続きの解説]
固有名詞の分類
- 源為公のページへのリンク