汽車のえほん成立から執筆終了まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 08:28 UTC 版)
「ウィルバート・オードリー」の記事における「汽車のえほん成立から執筆終了まで」の解説
息子クリストファーが1942年に麻疹にかかっていたとき、ウィルバート自らが少年時代に想像した意志、感情を持つ蒸気機関車が会話をする物語を語って聞かせた。いくつかのエピソードを話すうちに、詳細な点の矛盾をクリストファーに指摘されないようにメモ書きを作り出したのがきっかけで、物語は書きとめられていった。妻マーガレットが絵本としての物語の出版を提案するがウィルバートが反対し、幾度かの説得の末1945年5月12日に最初の本「三だいの機関車」が出版されることとなった。翌年「機関車トーマス」が出版されると、以後「汽車のえほん」としてシリーズ化してほぼ1年に1冊ずつ出版された。挿絵は専門の挿絵画家が担当した。 1952年以降はタリスリン鉄道等の保存鉄道のボランティア活動にも献身的に参加した事でも知られ、「汽車のえほん」にも「こうざんてつどう・スカーローイ鉄道」としていくつか描かれており、タリスリン鉄道で車掌として働いていた際に売店の女性をホームに取り残したまま発車させてしまった失敗談は「汽車のえほん」第10巻において「ピーター・サムのしっぱい」というエピソードとして執筆され、テレビ版第4シリーズで映像化されている。そのころ特に行動を共にした親友に、テディ・ボストン牧師がいる。 1965年に牧師を引退、翌1966年にグロスターシャー州ストラウドのロッドバラ教会に移り住む。 1972年に「井戸は干上がった」と語って26番目「わんぱく機関車」の出版を最後に、一旦シリーズの執筆を終了した。その後、「汽車のえほん」はイギリスの放送作家ブリット・オールクロフトにより1984年から『きかんしゃトーマス』として映像化され、それに伴い1983年から息子クリストファー・オードリーが続編の執筆・出版を引継ぎ、1996年までに14冊の続編が書き継がれた。1987年9月には「汽車のえほん」とは別にソドー島の歴史・地理学・言語・産業・地質学等を記した「THE ISLAND OF SODOR」(日本語未訳)を弟のジョージとの共著として出版している。 生前、華奢な体格から「ほっそり牧師(Thin Clergyman)」とからかわれる事が多かった。この事もウィルバートは原作22巻「小さな機関車たち」にて、題材として取り扱った。「汽車のえほん」作中にウィルバート本人が出てくるのはこの巻と25巻「きえた機関車」のデューク探しのエピソードぐらいだが、牧師でありながら鉄道愛好家でもあった、という事実を社会一般に認めさせた。
※この「汽車のえほん成立から執筆終了まで」の解説は、「ウィルバート・オードリー」の解説の一部です。
「汽車のえほん成立から執筆終了まで」を含む「ウィルバート・オードリー」の記事については、「ウィルバート・オードリー」の概要を参照ください。
- 汽車のえほん成立から執筆終了までのページへのリンク