決行前夜の露見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:17 UTC 版)
11月1日金曜日、ロンドンに帰ってきたジェームズにモンティーグルの手紙が渡された。読んだジェームズは「blow」という言葉に着目し、父ダーンリー卿が1567年に爆殺された(英語版)のと同じ規模の「火や火薬を使った何らかの策謀」を暗示しているのではないかと察した。翌日、枢密院のメンバーがホワイトホール宮殿で国王に謁見し、1週間前にセシルが伝えた情報に基づいて、月曜日に宮内長官(英語版)サフォーク伯トマス・ハワードが議会の「天井も床下も」捜索を行うことを伝えた。11月3日日曜日、パーシー、ケイツビー、ウィンターの3人は最後の打ち合わせを行い、パーシーは仲間たちに「極限の試練に耐えろ(abide the uttermost triall)」と言い、テムズ川に停泊中の仲間の船のことを思い出させた。翌4日にはディグビーはダンチャーチ(英語版)に「狩猟隊」を配置し、エリザベスを誘拐する手はずを整えていた。同日、パーシーは陰謀には関与していないノーサンバランド伯を訪ね、モンティーグル卿の手紙に関する情報が得られないか確かめた。そしてパーシーはロンドンに向かうと、ウィンター、ジョン・ライト、キーズの3人に心配することはないと安心させ、グレイズ・イン・ロードの自分の宿舎に戻った。同夜、ケイツビーはジョン・ライトとベイツを伴ってミッドランズに向けて出発したと思われる。キーズを訪ねたフォークスは、彼から導火線の時間を計るためにパーシーが残した懐中時計を渡され、また1時間後にはルックウッドが地元の刃物屋(カトラリー屋)から刻印が入った剣を数本受け取っていた。 探索の回数とタイミングについては2つの説があり、王によれば最初に議会周辺の建物の探索が行われたのは、ちょうど計画者たちが最終準備に追われていた11月4日の月曜日であり、探索者はサフォーク、モンティーグル、ジョン・ホワイニアードの3人であった。彼らは貴族院の地下室で山と積まれた大量の薪を発見し、そこにいた、おそらくフォークスだと思われる使用人を連行して聴取したところ、彼は薪は主人のトマス・パーシーのものだと答えたという。2人が調査結果を報告するために立ち去ると、フォークスも建物を後にした。すでにカトリックの活動家として当局に知られていたパーシーの名前が出てきたために、王のさらなる疑念を引き起こし、より徹底した探索を行うことが命令された。その日の夜遅く、トマス・ニヴィット率いる探索隊が問題の地下室を訪れた。そこでマントと帽子を身にまとい、拍車のついたブーツを履いたフォークスを再発見した。逮捕された時、彼は「ジョン・ジョンソン」と名乗った。所持品を調べたところ、ランタンのほか、懐中時計、スローマッチ数本、火つけ木が見つかった(ランタンはオックスフォードのアシュモレアン博物館に所蔵品として現存している)。そして積み上げられた薪や石炭の下から36本もの火薬樽が発見された。フォークスは11月5日の未明に王のもとに連行された。
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