決裂の兆し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 06:02 UTC 版)
「リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)」の記事における「決裂の兆し」の解説
フランスとの交渉においてウォリックは、エドワード国王がフランス王室との婚姻に関心を持っているとほのめかした。意中の相手はルイ11世の王妃シャルロットの妹でサヴォイア公ルドヴィーコの娘のボナであるとされた。しかしこの縁談は実現しなかった。1464年9月、エドワードが既にエリザベス・ウッドヴィルと結婚したことを公表したからである。この結婚はウォリックにとって大変な侮辱であった。彼の進めていた計画が妨害されたためだけでなく、国王が秘密に事を進めていたためである。 同年5月1日に婚約が成立していたこの結婚は、顧問会議においてウォリックがフランスとの縁談を国王に勧めるまで公にされなかった。その間にウォリックは、国王が縁談に真剣であると結果的にフランスを欺いてしまうことになった。エドワードにとっては恋愛結婚であったろうが、結局彼はウッドヴィル家をウォリックから独立した権門にしようとした。 この出来事は両者の関係にとって決定打とはならなかったが、この時を境にウォリックは次第に宮廷から遠ざかるようになっていった。ウォリックの弟ジョージがヨーク大司教に昇進したことは、なおもウォリックが王の寵臣であったことを示している。1465年7月、ヘンリー6世が再び囚われの身となったとき、落魄した元国王をロンドン塔へ連行したのはウォリックであった。 1466年春、ウォリックはフランス及びブルゴーニュ公国との交渉のため、再び大陸に派遣された。交渉はエドワードの妹マーガレットの婚姻に関する提案を中心に行われた。ウォリックは次第にフランスの外交筋に好意を持つようになっていた。その間、エドワードの義父で大蔵卿に任命されたリヴァーズ伯リチャード・ウッドヴィルは同盟者であるブルゴーニュ側寄りとなっていた。このことはイングランド宮廷内での紛争を引き起こした。 この紛争は、10月にエドワードがブルゴーニュ公国との秘密条約に署名し、一方でウォリックがフランスと偽りの交渉を継続することを強いられたという事実をもっても緩和されることはなかった。その後、ジョージ・ネヴィルは大法官を罷免され、一方でエドワードはウォリックの長女イザベルとエドワードの弟クラレンス公ジョージとの縁談を考慮することを拒否した。こうして、宮廷の支配者としての地位がリヴァース伯に取って代わられていることが、次第に明らかになっていった。 1467年秋、ウォリックがランカスター方に共鳴しているとの噂が流れた。ウォリックは喚問のために宮廷に出頭することは拒絶したが、書面にてこの噂を否定し、国王はこの書状を受け入れた。同年7月、ウォリックのカレー総督の地位を代行するウェンロック卿がランカスター方の陰謀に関与していることが明るみに出た。また1469年初めにはオックスフォード伯ジョン・ド・ヴィアーが関与する別のランカスターの陰謀が明らかになった。これらの事件によって、エドワードの治世への不満が広がっていることとウォリックのつけ込む隙があることが次第に明らかになっていった。
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