江夏豊
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江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、兵庫県尼崎市出身(奈良県吉野郡生まれ[1][2])の元プロ野球選手(投手)、解説者・評論家・タレント。
注釈
- ^ 塩釜が野球部の監督に就任したのは、同校に野球部が誕生した時監督の成り手がいなかったところ「それじゃ俺がやる」と志願したためであったという。
- ^ 江夏は後年、「巨人でもチーム打率が.250に満たなかったのだから、阪神なんて.210~.220くらいだった」と述懐している[17]。なお、1967年の実際のチーム打率は巨人が.265、阪神は.245である。
- ^ a b ただし、野村克也の著書「オレとO・N」によると、試合前日のスポーツ新聞に掲載された江夏のインタビューとして「日本記録はONから取りたい」、試合当日直前のインタビューでは江夏が「王、長嶋と連続して(三振を)取りたい」と語っていたといい、さらに「王は昔、『江夏のその話は眉唾』と言っていた」「(王の)次の打者の長嶋には、合わせたバッティングでショートゴロを打たれてしまっている」と述べている。このことから察するに、江夏本人が美化して話したことがマスコミで誇張されたまま何十年と経過し、本人も収拾がつかなくなってしまったので、ONは「江夏がそうしておきたいなら別に構わない」というスタンスだったこともあって、“長嶋から新記録を狙ったものの打たれてしまった。仕方ないので打順を一回りさせて王が来るまで、他の選手からは三振を取らないようにする”というのが真相だろうと述べている。
- ^ オールスターゲームでは、投手がイニング途中から登板した場合、次のイニングから数えて3イニングまで登板可能である。また、振り逃げの場合は1イニング4奪三振以上も可能のため、極めて特殊なケースではあるがルール上では1試合10奪三振以上も不可能ではない。
- ^ パ・リーグの野手が全員出場していたため、パ・リーグ監督の西本幸雄が打撃の良い山内を松沼博久(西武ライオンズ)の代打に起用していた。
- ^ 江夏自身は、当時の日本ハムと同じ東京に本拠地を置くヤクルトスワローズあたりが移籍先ではないかと思っていたという。また、セ・リーグならヤクルト、パ・リーグなら近鉄を希望していた[62][63]。
- ^ 大沢と江夏との対談では、のちに江夏が西武の在籍が1年で終わったこともあって、大沢が「結局、江夏の野球人生をオレが縮めたことになっちまったな」とも語っている[65]。
- ^ 1974年・75年に着用したホーム用ユニフォームのレプリカだったが、実物と違い左袖には『OSAKA』ではなく、1976年以降のものに準じた虎マークが入っていた。
- ^ 11球団から勝利しているが、阪神タイガースからは未勝利に終わったため、全球団勝利は達成出来なかった。
出典
- ^ 江夏豊の母 息子に貫いた不器用な愛 グレートマザー物語 2001年7月1日(2004年4月15日時点のアーカイブ)
- ^ a b c 江夏豊「新・家の履歴書 江夏豊」『週刊文春』2009年12月31日、2010年1月7日号、p102-105 但し、霧島酒造創業者との関係については、記事の信頼性に疑問あり。ノート:霧島酒造参照。
- ^ 江夏豊『左腕の誇り 江夏豊自伝』草思社、2001年、p.15
- ^ 江夏豊(2)左利き 長兄にたたき込まれる 社会人の草野球で助っ人に『日本経済新聞』2017年12月2日号「私の履歴書」 江夏豊
- ^ 江夏、2001年、p.22
- ^ 『なぜ阪神は勝てないのか? 〜タイガース再建への提言』(岡田彰布との共著)角川ONEテーマ21 (角川書店、2009年)p109
- ^ 江夏、2001年、p.23
- ^ 江夏、2001年、p.24
- ^ a b スポーツニッポン『「我が道」江夏豊 (3)』 2023年3月3日付 18面より
- ^ 江夏豊、2001年、p.27
- ^ 江夏、2001年、pp.27-28
- ^ 『なぜ阪神は勝てないのか? 〜タイガース再建への提言』p148
- ^ 『なぜ阪神は勝てないのか? 〜タイガース再建への提言』p71
- ^ スポーツニッポン『「我が道」江夏豊 (6)』 2023年3月6日付 22面より
- ^ a b c スポーツニッポン『「我が道」江夏豊 (7)』 2023年3月7日付 18面より
- ^ a b スポーツニッポン『「我が道」江夏豊 (8)』 2023年3月8日付 20面より
- ^ 『なぜ阪神は勝てないのか? 〜タイガース再建への提言』p130。
- ^ 「あの時、君は若かった」ルーキー秘話『Sports Graphic Number』2011年3月24日号、文藝春秋、2011年、雑誌26854・3・24、50頁。
- ^ a b c d “【9月17日】1968年(昭43) 新記録は王さんから 江夏が狙った日本新奪三振記録”. スポーツニッポン (2007年9月17日). 2012年8月26日閲覧。[リンク切れ]
- ^ . 阪神タイガース 公式サイト. http://s.hanshintigers.jp/80th/history/+2020年4月8日閲覧。
- ^ 1971年度オールスター・ゲーム 試合結果(第1戦)NPB公式サイト
- ^ “【8月30日】1973年(昭48) 自ら抑えて打って史上初の記録!江夏の晩夏の快投”. スポーツニッポン (2007年8月30日). 2012年8月3日閲覧。[リンク切れ]
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- ^ 田所龍一 (2022年4月14日). “小林繁伝 一難去ってまた一難…監督が辞意 虎番疾風録其の四(28)”. 産経新聞 2023年10月22日閲覧。
- ^ 田所龍一 (2022年4月15日). “小林繁伝 「監督に謝る」江夏を改心させた後援者 虎番疾風録其の四(29)”. 産経新聞 2023年10月22日閲覧。
- ^ 田所龍一 (2022年4月18日). “小林繁伝 「確執騒動」終結も、残った火種 虎番疾風録其の四(30)”. 産経新聞 2023年10月22日閲覧。
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- ^ a b 日刊スポーツ1976年1月20日1面「阪神ついに江夏放出!南海・江本らとトレード」
- ^ 【勇者の物語】トレード通告 江夏、首脳陣と不協和音の果て 虎番疾風録番外編132 - 産経ニュース
- ^ 読売新聞1976年1月24日15面「『南海・江夏』は26日に」読売新聞縮刷版1976年p.673
- ^ 読売新聞1976年1月24日15面「『二、三日気持ちの整理』」読売新聞縮刷版1976年p.673
- ^ 読売新聞1976年1月27日17面「南海・江夏あす誕生 トレードを了承 阪神のファンには感謝」読売新聞縮刷版1976年p.765
- ^ 江夏、2001年、p.176
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- ^ a b 江夏、2001年、p.180
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- ^ 江夏、2001年、p.197
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- ^ 【勇者の物語】希望かなわず江夏が広島へ 柏原は… 虎番疾風録番外編181 - 産経ニュース
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- ^ “江夏の21球 “赤ヘル野球”軌道乗った1979年”. デイリースポーツ online (2022年7月14日). 2022年7月18日閲覧。
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- ^ a b 江夏豊『このまま終わってたまるか プロ野球の世界に仁義はなかった』産業報知センター、1985年、p.41
- ^ 『左腕の誇り』p254 - p255。
- ^ 1984年の江夏豊「西武への望まないトレード」の表と裏
- ^ 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年7月21日号134ページ巻末コラム「期間延長、トレードの効能」
- ^ 『球道無頼』P187、P200。
- ^ スポーツニッポン1985年1月20日3面「江夏が泣いた 別れの一本杉 球場こらえきれずに」
- ^ 日刊スポーツ1985年1月20日3面「江夏別れの一本杉 『たった一人の引退式』に惜別ファン1万6000人 浩二が落合が胴上げ」
- ^ 報知新聞1985年1月20日5面「江夏感激の引退式 別れの一本杉球場 16000人が祝福」
- ^ 日刊スポーツ1985年1月20日3面「江夏お別れメッセージ 胸張ってアメリカへ」
- ^ デイリースポーツ1985年4月5日1面「ブ軍太平洋地域スカウト ダン野村氏に直撃インタビュー」
- ^ Yutaka Entasu, Milwaukee Brewer - Japanese Baseball Cards
- ^ 日刊スポーツ1985年3月15日1面「江夏決めた 2回6人を28球無安打1四球 初オープン戦にでSFジャイアンツバッサリ」
- ^ a b 日刊スポーツ1985年3月25日3面「見たか快投江夏 2死満塁0-3からパドレス強打者ケネディ三振」
- ^ 日刊スポーツ1985年3月20日1面「バンバーガー監督に質問」
- ^ 日刊スポーツ1985年3月28日1面「江夏試練だ 初の中2日4失点 悪夢の打者10人 サムライマン斬られた」
- ^ 日刊スポーツ1985年4月1日1面「江夏ピンチ 一発食って3失点 カブス戦に続きまた失敗」
- ^ 日刊スポーツ1985年4月4日1面「江夏無残 最終テストも失敗 2回2失点初黒星」
- ^ 日刊スポーツ1985年4月5日1面「江夏他球団の誘い待つ 3Aにも残れず 68番どこへ」
- ^ a b 日刊スポーツ1985年4月5日1面「36歳の年齢がネックに」
- ^ 日刊スポーツ1985年4月5日2面「メジャー江夏が見たかった 3回持たないと苦しい」
- ^ Milwaukee Brewers Uniform Numbers - Baseball-Reference.com
- ^ 日刊スポーツ1985年4月10日2面「江夏1Aから誘い ブルワーズ傘下のストックトン 『意外、なぜなんだ?』入団の可能性少ない」
- ^ a b 日刊スポーツ1985年4月13日3面「江夏南海行かん 日本でのプレー意思なし評論家で再出発」
- ^ 東京中日スポーツ1985年4月16日1面「江夏本紙入り 評論家で再出発 一匹狼新たに挑戦 人生感じさせる技術を」
- ^ スポーツ・グラフィック・ナンバー編『豪球列伝』文藝春秋文春文庫ビジュアル版、1986年、p.213
- ^ 藤澤文洋『やっぱり凄い メジャーリーグ大雑学』、講談社+α文庫、pp.112-113
- ^ a b c “野球、海を渡る-ニッポン人脈記”. 朝日新聞. (2006年1月23日) 2020年7月21日閲覧。
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- ^ https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/05/18/kiji/K20160518012609100.html
- ^ http://diamond.jp/articles/-/86006?page=2
- ^ 江夏豊は一度の過ちで立ち直った その「事実」こそが清原和博へのメッセージだ! 産経新聞、2016年4月16日、2021年6月3日閲覧
- ^ “阪神本拠開幕戦で江夏&田淵“黄金バッテリー”復活 - 野球”. 日刊スポーツ (2017年3月17日). 2017年7月9日閲覧。
- ^ 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年7月21日号24-25ページ「江夏の21球は本当だったんだと強烈な印象を受けた 伊東勤が語る最高峰の投球術」
- ^ 別冊ベースボール「よみがえる1980年代のプロ野球 PART8 1982年編」54頁(原出典:週刊ベースボール1982年10月18日号 立川談志との対談記事)
- ^ 2012年8月17日朝日新聞夕刊1面コラム「ニッポン人・脈・記」
- ^ エースの資格110-113ページ「王さんだけには通用した「曲がらない」カーブ」
- ^ “江夏豊「オレの宝だ。すぐに追い掛ける」衣笠氏悼む”. 日刊スポーツ. (2018年4月24日) 2018年4月25日閲覧。
- ^ 江夏豊 広岡監督に「なんで痛風なの」で2軍落ち?
- ^ 球界に大きな影響を与えた広岡達朗-元・名物番記者が語るプロ野球ちょっと裏話-
- ^ ベースボール・マガジン社「日本プロ野球トレード大鑑」でのインタビュー。『左腕の誇り 江夏豊自伝』でも同趣旨の発言をおこなっている。
- ^ 文藝春秋 2005年7月号
- ^ https://npb.jp/bis/players/41343824.html
- ^ “歴代授賞者”. 日本プロスポーツ大賞. 公益財団法人日本プロスポーツ協会. 2017年11月25日閲覧。
- ^ 達成者は「江夏豊」ともうひとりだけ… 「全球団に勝利」「全球団に敗戦」した投手 - デイリー新潮(2020年8月8日)
江夏豊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 15:03 UTC 版)
阪神のエース。巨人戦を前に、ブルペンで「思い切り行け、ぶっ倒れたらわしが行くで!」と藤村に無言で声援を送る。
※この「江夏豊」の解説は、「男どアホウ甲子園」の解説の一部です。
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江夏豊(えなつゆたか)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 05:09 UTC 版)
「4番サード」の記事における「江夏豊(えなつゆたか)」の解説
景虎の店主の娘で、港南高校の女子生徒。名前の由来は江夏豊で、阪神タイガースの熱狂的ファンである父親がつけた。長島に好意を持っているらしく、甲子園に連れていって欲しいと彼に頼む。名探偵コナンの44巻に彼女らしき女の子が登場している。
※この「江夏豊(えなつゆたか)」の解説は、「4番サード」の解説の一部です。
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江夏豊(えなつ ゆたか)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:19 UTC 版)
「野球大将ゲンちゃん」の記事における「江夏豊(えなつ ゆたか)」の解説
ゲンが初めて見た野球の試合のオールスターで先発だったが、パ・リーグに三者連続ホームランを打たれた。後に、昏睡状態のおトラのところへ行き、おトラを起こさせた。
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江夏豊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 16:51 UTC 版)
作中、最初に登場する人物。阪神の投手。作品冒頭に交通事故に遭い、出場できない彼になり替わって球一(当時は球児)が巨人戦に登板。病院でテレビ中継を見て驚き、村山監督に電話をする。この事故は明らかに江夏の無理な追い越しによる“大惨事”のはずだが、翌日の新聞の見出しには「不慮の事故による負傷」とある。
※この「江夏豊」の解説は、「アストロ球団」の解説の一部です。
「江夏豊」を含む「アストロ球団」の記事については、「アストロ球団」の概要を参照ください。
江夏豊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:59 UTC 版)
セ・リーグを代表する剛速球投手で、阪神のエース。蛮と投手戦を繰り広げる。蛮に対してシュートで死球を出したことがある。
※この「江夏豊」の解説は、「侍ジャイアンツ」の解説の一部です。
「江夏豊」を含む「侍ジャイアンツ」の記事については、「侍ジャイアンツ」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
日本の野球選手 | 木元邦之 中村泰広 江夏豊 高見沢考史 根本学 |
阪神タイガース及びその前身球団の選手 | アルビス・オヘイダ 中村泰広 江夏豊 呉昌征 浅井良 |
福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 | ホセ・ヌーニェス 芝草宇宙 江夏豊 アンソニー・レリュー 本原正治 |
北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 | 木元邦之 中村泰広 江夏豊 根本学 寺島達夫 |
埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 | 高山久 岸川雄二 江夏豊 犬伏稔昌 テリー・ブロス |
広島東洋カープ及び広島カープの選手 | 益田尚哉 土屋雅敬 江夏豊 藤本典征 藤井弘 |
日本の芸能人 | 田代隆秀 桑原悠太 江夏豊 安部魔凛碧 黒田よし子 |
日本のタレント | 石田裕子 さきそん 江夏豊 宮瀬靖子 波瑠 |
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