水原親憲とは? わかりやすく解説

水原親憲(すいばら ちかのり) 1546~1616

大関氏 杉原氏 弥七 常陸介
◇父:大関阿波守親信(盛憲?) 子:水原助市
 越後長尾(上杉)氏臣。1561年川中島の合戦で功を挙げて水原壱岐守満家の名跡継いだ水原氏は伊豆大見氏の流れ1598年上杉氏会津入国際し猪苗代城代となる。徳川家康会津討伐にも参陣。家康本隊挙兵し石田三成西軍を討つため急遽西上した際、他の者がそれを上杉の威を畏れたものとして喜ぶ中、三成負け上杉孤立予測実際その通りとなる。1615年大坂冬の陣戦功挙げ徳川秀忠から感状受けているが、「子供石合戦のごとき戦で感状をもらうとは」と言って笑ったという。

水原親憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 08:24 UTC 版)

水原 親憲(すいばら ちかのり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将上杉氏の家臣。


  1. ^ 『上越市史 別編2』1575号
  2. ^ 『上越市史 別編2』1963号
  3. ^ 『水原町編年史』第1巻では、御館の乱後(天正6年(1578年)から天正8年(1580年)頃)、景勝の気を損ね小島弥太郎と共に会津に出奔したとしている。一方『上杉家御年譜』所載の「御家中諸士略系譜」では、親憲が貞通の下に居たのは14・5歳の頃のことであるとしている(ここでは貞通の名が「新田上総介」となっている)に奉公していたとする。
  4. ^ 上杉家文書』702号、『上越市史 別編2』1971号
  5. ^ 『上越市史 別編2』3582号


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