水不足が深刻化する三多摩地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/04 08:34 UTC 版)
「小作浄水場」の記事における「水不足が深刻化する三多摩地区」の解説
三多摩地区は17市13町2村で形成されており、上水道はこれら自治体ごとに独立して水道事業または簡易水道事業の経営を行っていた。1926年(大正15年)に八王子市、青梅市の両市でが水道事業の認可をはじめとして現在では三多摩地区全域で上水道が急速な普及を見せていた。 1963年(昭和38年)現在、給水人口は856,000人に及び、給水普及率は64.1%に達し、1日の最大配水量は224,000m3で、1960年(昭和35年)から僅か3年間で約2.3倍もの増加傾向を記録した。この他、工場等で使用されている用水が1日当たり173,000m3あるので、合計して1日当たり397,000m3供給している事になる。これら上水及び工業用水の水源の大部分を井戸からポンプで揚水した地下水に依存していたが、人口の急激な増加に伴って市町村と進出してきた工場事業者によって深井戸が乱掘された為、元々低かった三多摩地区の地下水位が低下して揚水量が減少を続け、更に乱掘を重ねて枯渇寸前まで追い込まれるという悪循環に陥った。これは現在の発展途上国で見られる現象である。特に都市化が著しい北多摩地区の一部と町田市に於いては急増する水需要に対して給水が追いつかないという最悪の状況になっていた。 当時の日本は過渡的な不況期を除いて急激な右肩上がりの高度経済成長時代に突入しており、1964年(昭和39年)10月開催の東京オリンピックや東京大渇水を見た東京都水道局では区部から三多摩地区に新天地を求めた人や産業が一気に流入し、上水及び工業用水の需要は今後爆発的に増加するであろうと予想していた。また上水や工業用水の需要増大に対しては水源確保が前提となったのであるが、地域内河川は既に開発され尽くしているうえ、もはやこれ以上地下水に依存することは不可能で一刻の猶予も許されないと考えていた。
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