民主国家同士が平和的である理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:57 UTC 版)
「民主的平和論」の記事における「民主国家同士が平和的である理由」の解説
イデオロギー対立がないから最も単純に考えて、イデオロギーの同じ国同士は、イデオロギー対立がないので戦争になりにくい。 議会主義的交渉能力の発達民主国家は議会主義的交渉能力が発達しているので、たいていの問題は非暴力的な交渉で解決が可能で、戦争という手段にいたるまで対立がエスカレートすることがない。これに対し独裁国は、協議を時間稼ぎや恫喝の場としか考えていない。例えばヒトラーはミュンヘン会談の決定に何の誠意も見せなかった。 リベラリズムの発達民主国家では、野党を弾圧せずマイノリティの言論の自由を保護するというリベラリズム(寛容性)が発達しているので、少数派を暴力によって打倒・排除することが倫理的に悪と認識されている。 情報の開示民主国家は、戦争決定する上で議会・国民の支持を得なくてはならないので、情報開示性が高く、他国に奇襲攻撃を加えることがない。つまり、相互不信が高まることが少なく、いわゆる「囚人のジレンマ」に陥ることが少ない。これは宣戦布告による戦争だけでなく冷戦抑止にも大きな効果を持つ。 攻撃する側が戦争の大義名分を得がたい民主国家は、当然民主主義を正義と見なしている。従って、民主主義国家が独裁国家を攻撃する場合は、「独裁者からの民衆の解放」という大義名分を作りやすいが、民主主義国家を攻撃する場合にはそれが困難である。 歴史段階として戦争を克服したからフランシス・フクヤマは歴史哲学的視点から、民主国家を歴史(国家興亡史)の終わった世界、脱歴史世界と呼び、民主国家は歴史段階として戦争を克服したと考えた。大量破壊兵器が発達した現代では、戦争は経済的にも不合理で、人道主義的にも野蛮な行為である。先進国間では、戦争はもはや問題解決の手段としては有効ではなく、例えば石器や火縄銃、蒸気機関車のように、現象としては過去の遺物となった。また、戦争原因は経済的利害のぶつかり合いではなく、気概、優越願望、差別意識(狂信的な宗教原理主義や偏狭的な民族主義やナショナリズム)のぶつかり合いによって起こると考え、民主主義のもつ平等主義、対等願望、普遍的認知が戦争抑止に大きく貢献したと考えた。
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