歴史的、政治的背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:51 UTC 版)
1991年にエチオピア内戦が終結して以降、エチオピアはティグレ人民解放戦線(TPLF)を中心とする民族政党の連合「エチオピア人民革命民主戦線」(EPRDF)による一党優位政党制を採って。EPRDFの創設に深く関わったTPLFはEPRDF内で強力な影響力を有しており、メレス・ゼナウィ議長は2012年に亡くなるまで長く首相(英語版)を務めていた。 2018年4月2日、27年もの間政府を支配してきたTPLFは、独裁への国民の不満が高まる中で権力を座を降りた。EPRDFの議長を決める非公開選挙においてTPLFはシフェロフ・シグテを議長に選出しようとしたが、アムハラ州、オロミア州、南部諸民族州などの代表の反対に遭い、結果、アビィ・アハメドが議長に選出された。選挙に敗北し失脚したTPLFの党員はティグレ州に逃れ、以降3年間連邦政府との対立姿勢を続ける。エチオピア連邦警察が国家情報安全保障局(英語版)(NISS)の元トップでTPLFの執行委員でもあるゲタチェウ・アセファ(英語版)を逮捕しようとしたところ、ティグレ州政府が引き渡しを拒否したという事例も報告されている。 アビィ・アハメド首相は2019年12月1日、EPRDF所属の民族政党および一部の野党を統合し繁栄党を結成したが、TPLFは新党への参加を拒否した。さらに2020年8月29日に予定されていた総選挙がCOVID-19のパンデミックを理由に2021年に延期されたことを根拠として、アビィ・アハメドが首相であり続けることは違法だと主張した。 2020年、連邦政府とTPLFの間の緊張状態はさらに激化する。繁栄党のティグレ州支部は、この緊張状態はエリトリアの侵略を招く恐れがあると表明。さらにアビィ首相は、TPLFが政府に対して妨害を行っているとして非難した。その後TPLFは、9月にティグレ州議会選挙を強行するが(COVID-19の流行を理由に、連邦選挙委員会(英語版)(NEBE)は選挙の延期を求めていた)、首相はこの選挙を違法と認定、これが紛争の原因の一つと考えられている。なお連邦政府はこの時、州議会選挙の取材を行おうとしたジャーナリストの取材を妨害している。 アビィ首相はエリトリアの独裁者イサイアス・アフェウェルキ大統領(TPLFと敵対)との間で融和外交を進めており、このことも緊張を煽ったと考えられている。さらにメスフィン・ハゴス元エリトリア国防相によると、エチオピア軍の一部の部隊が、「TPLFを打倒する」計画のため、両国間の「安全保障協定の一環として」、エリトリアの首都アスマラ近郊にあるゲルゲラ基地に移送された。10月下旬、連邦政府とTPLFの間の仲介を行っているエチオピア和解委員会(英語版)は、対話を拒否しているとして政府とTPLFの双方を非難した。 ティグレ人民解放戦線は、しばしば「武装した民族主義者」、準軍事組織、反乱軍、テロ組織あるいはかつての権威主義政権の指導政党などと表現される。 緊張が高まり続ける中で首相はティグレ州の部隊に新たな司令官を任命したが、ティグレ州政府は新司令官の就任を拒否した。TPLFによる基地攻撃が行われる前日、連邦議会はTPLFをテロ組織として指定するよう提案した。
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