歴史的意義、評価など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 14:42 UTC 版)
「ロングアイランドの戦い」の記事における「歴史的意義、評価など」の解説
ロングアイランドの戦いに至る過程であった、ハウと、ワシントンとの書簡のやり取りは、争乱の穏便な政治解決を完全に不可能にした物であり、直後の7月4日の独立宣言により、もはや戦争継続以外の道は残されなくなった。 イギリス軍はワシントンとその軍隊が逃亡したことが分かって驚愕した。8月30日にイギリス軍は大陸軍の砦を占領した。この戦闘の報せがロンドンに到着すると、多くのお祭騒ぎが起こった。市中の鐘が鳴らされ、窓には蝋燭が点され、国王ジョージ3世はハウ将軍にバス勲章を与えた。 ハウ将軍は次の半月間、攻撃もせずに静かにしており、9月15日にマンハッタン島のキップス湾で軍隊を上陸させた。イギリス軍は速やかにニューヨーク市を占領した。9月21日、不明の原因で市内に大火がおこり、市の大半を破壊した。この大火の直後に、ネイサン・ヘイルがスパイ容疑で処刑された。大陸軍は9月16日のハーレムハイツの戦いで勝利を収めたが、10月28日のホワイトプレインズの戦いでは大敗を喫した。11月16日にはワシントン砦を失った。ニューヨーク湾の支配権は完全にイギリス軍のものとなった。これらの敗北により、ワシントンとその軍隊はニュージャージーを越えてペンシルベニアまで撤退することになった。 ワシントン軍の敗北により、軍を2つに分けたワシントンの戦略家としての欠陥、その状況を理解できなかった経験の足りない将軍達、および最初の発砲で秩序を乱して逃げ出すような鍛えられていない兵士達という欠点を顕わにした。一方でその大胆な夜間の撤退はワシントン最大の軍事的功績であると見なす歴史家もいる。他の歴史家は、イギリス海軍が撤退を阻止できなかったことを重視した。ワシントンは戦闘艦を持っていなかったが、海岸の砲台、水中の木や障害物を使ってイギリス軍の動きを遅らせた。 また、イギリス軍側は、ハウの民意を懐柔したい方針と本国の将兵の消耗を嫌うための追撃掃討戦を積極的にしない方針が明らかになり、大陸軍側は緒戦でこれを大いに利用した。
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