歴史と截香
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 05:47 UTC 版)
蘭奢待の伝来について記される史料はない。和田軍一は羂索院の双倉に収蔵されていた宝物が倉の老朽化に伴い永久4年(1116年)に勅封倉(正倉院)に移された記録を根拠として、この時に蘭奢待が正倉院に納められたとする。また堀池春峰は延暦24年(804年)に早良親王の御霊鎮護において用いられた名香を蘭奢待と推定したうえで、同年7月に唐から帰朝した藤原葛野麻呂が舶載したものとする。ただしいずれの説も推測の範疇を出ない。 米田該典は1997年の調査で38箇所の截香跡があるとした上で、繰り返し切り取られた跡もみられることから50回くらい切り取られたとしている。これまで足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武[要出典]、織田信長、明治天皇らが切り取っている。現在、3箇所の切り口に「足利義政拝賜之處」「織田信長拝賜之處」「明治十年依勅切之」の付箋がつけられているが、いずれも明治期のものであり明治以前の切り口については不明である。徳川家康も切り取ったという説があったが、慶長7年(1602年)6月10日、東大寺に奉行の本多正純と大久保長安を派遣して正倉院宝庫の調査を実施し、蘭奢待の現物の確認こそしたものの、切り取ると不幸があるという言い伝えに基づき切り取りは行わなかった(『当代記』同日条)。同8年2月25日、宝庫は開封して修理が行われている(続々群書類従所収『慶長十九年薬師院実祐記』)。
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