歴代の治天
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治天の君年天皇続柄備考白河上皇 応徳3年(1086年) 堀河天皇 皇子 嘉祥2年(1107年) 鳥羽天皇 孫 保安4年(1123年) 崇徳天皇 曾孫 鳥羽上皇 大治4年(1129年) 皇子 栄治元年(1141年) 近衛天皇 皇子 久寿2年(1155年) 後白河天皇 皇子 後白河天皇 久寿3年(1156年) - 親政 後白河上皇 二条天皇 保元3年(1158年) 二条天皇 皇子 二条天皇期には後白河院の院政と二条天皇の親政が併存していたため、治天の地位については議論の余地がある。 後白河上皇 永万元年(1165年) 六条天皇 孫 仁安3年(1168年) 高倉天皇 皇子 高倉天皇/上皇 治承3年(1179年) 高倉天皇 - 治承三年の政変により後白河院政を停止、高倉天皇による親政。 治承4年(1180年) 安徳天皇 皇子 後白河上皇 治承5年(1181年) 孫 寿永2年(1183年) 後鳥羽天皇 孫 後鳥羽天皇/上皇 建久3年(1192年) - 親政 建久9年(1198年) 土御門天皇 皇子 承元4年(1210年) 順徳天皇 皇子 承久3年(1221年) 仲恭天皇 孫 承久の乱により院政停止。 後高倉院 承久3年(1221年) 後堀河天皇 皇子 後堀河天皇/上皇 承久5年(1223年) - 親政 貞永元年(1232年) 四条天皇 皇子 後嵯峨天皇/上皇 仁治3年(1242年) 後嵯峨天皇 - 親政 寛元4年(1246年) 後深草天皇 皇子 正元元年(1259年) 亀山天皇 皇子 年持明院統大覚寺統備考治天天皇続柄治天天皇続柄文永9年(1272年) - 亀山天皇/上皇 亀山天皇 - 親政 文永11年(1274年) 後宇多天皇 皇子 弘安10年(1287年) 後深草上皇 伏見天皇 皇子 - 正応3年(1290年) 伏見天皇/上皇 - 親政 永仁6年(1298年) 後伏見天皇 皇子 正安3年(1301年) - 亀山上皇 後二条天皇 孫 嘉元3年(1305年) 後宇多上皇 皇子 徳治3年(1308年) 伏見上皇 花園天皇 皇子 - 文保元年(1317年) 後伏見上皇 弟 文保2年(1318年) - 後宇多上皇 後醍醐天皇 皇子 元享元年(1321年) 後醍醐天皇 - 親政(後宇多崩御は元享4年(1324年)) 元徳3年(1331年) 後伏見上皇 光厳天皇 皇子 - 元弘3年(1333年) - 後醍醐天皇 - 建武の新政 建武3年(1336年) 光厳上皇 光明天皇 弟 暦応2年/延元4年(1339年) 後村上天皇 - 貞和4年/正平3年(1348年) 崇光天皇 皇子 正平6年(1351年) - 正平一統 文和元年/正平7年(1352年) 広義門院 後光厳天皇 - 治天である光厳上皇が南朝に拉致されたため、治天の権能を行使して後光厳天皇を即位させた。 延文2年/正平12年(1357年) 後光厳天皇/上皇 応安元年/正平23年(1368年) 長慶天皇 - 応安4年/建徳2年(1371年) 後円融天皇 皇子 応安7年/文中3年(1374年) 後円融天皇/上皇 - 永徳2年/弘和2年(1382年) 後小松天皇 皇子 永徳3年/弘和3年(1383年) 後亀山天皇 - 長慶上皇が院政を行ったという説があるが、異論もある。 治天の君年天皇続柄備考後円融上皇 明徳3年(1392年) 後小松天皇 皇子 明徳の和約により南北朝合一。 後小松天皇/上皇 明徳4年(1393年) - 親政 応永19年(1412年) 称光天皇 皇子 正長元年(1428年) 後花園天皇 七親等
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