歌舞伎端役から剣戟スターへとは? わかりやすく解説

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歌舞伎端役から剣戟スターへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/02 02:44 UTC 版)

小崎政房」の記事における「歌舞伎端役から剣戟スターへ」の解説

1907年明治40年4月27日京都市生まれる。 1926年大正15年2月17日 - 同月23日18歳のとき、歌舞伎俳優尾上 紋緑として、端役郎党清瀬三四郎役で京都座の舞台を踏む。その後映画俳優転向し帝国キネマ演芸入社する1930年昭和5年5月31日23歳のとき、結城 三重吉の名で、帝国キネマ長瀬撮影所撮影した我武者甚内一番槍』(原作・脚本山内英三、監督渡辺新太郎)に主演同作公開される同年結城 重三郎改名主演した白粉首』(同年8月13日完成)をかわきりに重三名義で4本に出演したところで、同年9月長瀬撮影所火事全焼し焼失する同社松竹から借り受けた太秦撮影所現在の東映京都撮影所)で11本に出演した1931年昭和6年10月同社新興キネマ改組され、同年10月4日河津清三郎主演の『三人相馬大作』(原作直木三十五監督押本七之輔)に出演し同作新興キネマ作品として公開された。新興キネマでは、10本に出演し1932年昭和7年4月27日公開中島宝三監督作品享保旗本くづれ』を最後に新興キネマを去る。 同1932年宝塚キネマ退社した俳優羅門光三郎原駒子奈良県生駒郡南生駒村現在の生駒市壱分町)に設立した富国映画社」に合流同社設立の7作目映画渡世くづれ』に主演したが、同社は8本目映画撮影して解散した翌年1933年昭和8年)、俳優月形龍之介映画監督志波西果設立した朝日映画聯盟参加同年10月19日公開された『海援隊快挙』に月形共演したが、同プロダクション本作含めた2本で解散した小崎は「剣戟俳優結城重三郎」の名を捨て関西離れ東京移住同年角筈現在の西新宿)の新宿ムーランルージュ入り劇作家となる。

※この「歌舞伎端役から剣戟スターへ」の解説は、「小崎政房」の解説の一部です。
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