歌登町営軌道
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括弧内は経路変更後の距離
#: 上幌別→中央を起点
*: 上幌別六線→歌登を起点
- ^ “天北・名寄線廃止”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年5月1日)
- ^ 1918年当時の名称。その後宗谷本線、天北線と改称され、1989年(平成元年)5月1日に音威子府-南稚内間が廃線となった[1]。
- ^ この時導入された自走客車は、ディーゼルエンジン搭載ではあるものの、戦後の新製にもかかわらず当軌道・鶴居村営軌道とも単端式気動車であった。ただ、このような時代錯誤的な構造ながら、使用実績は良好で好評であった。増備が要望されたものの北海道開発局の予算の制約で早急な増備は見込めず、当軌道では歌登村が1958年に独自に小型の単端式自走客車を導入したが、この車両は適当なエンジンがなく排気量860ccの日産・ダットサンのガソリンエンジンを使用したため、乗車定員は8名に限られ、出力も不足で実用にならなかった。単端式車両の導入はこの車両までで終わり、その後の北海道開発局による増備車からは両運転台となった。殖民軌道#車両も参照。
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “サヨナラ町営軌道 42年の歴史幕おろす”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1971年5月30日)
[続きの解説]
「歌登町営軌道」の続きの解説一覧
- 1 歌登町営軌道とは
- 2 歌登町営軌道の概要
- 3 旅客列車運行概要
- 4 参考文献
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