歌登町営軌道とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 歌登町営軌道の意味・解説 

歌登町営軌道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/18 19:07 UTC 版)

歌登町営軌道(うたのぼりちょうえいきどう)は、かつて北海道枝幸郡歌登町枝幸町2006年平成18年)に両町が合併し現在は枝幸町)・中頓別町に存在した歌登町営の簡易軌道

路線データ

1939年3月当時

  • 路線距離
    • 枝幸線:小頓別 - 枝幸間35.0 km(歌登 - 枝幸間廃止後は「歌登線」となる)
    • 幌別線:幌別 - 志美宇丹間12.6 km
    • 他に、本幌別への支線も存在した。
  • 軌間:762 mm
  • 複線区間:なし
  • 電化区間:なし
1966年の宗谷支庁

歴史

歌登町営軌道
軌間 762 mm
 天北線
 0.0 小頓別
 旧線
 ? 吉田
 7.5 (4.5)毛登別
 ? 大島
本幌別 9.9# 
 ? 柴山
川添 6.7# 
 ? 熊の沢
滝ノ上 5.4# 
 ? 秋川(分)
旭岡 3.5# 
 ? 秋川(本)
幌見 1.8# 
 15.6 (12.9) 上幌別中央
歌登辺毛内 3.8* 
興生 6.7* 
 19.1 (16.2) 上幌別六線歌登
林内 8.7* 
 2.0* 般毛内
北志美宇丹 10.3* 
 6.3* 一本松
志美宇丹 12.5* 
 9.6* 金駒内
 13.0* 下幌別
 16.2* 枝幸
 北見枝幸駅
 興浜北線

括弧内は経路変更後の距離
#: 上幌別中央を起点
*: 上幌別六線歌登を起点

1918年大正7年)に浜頓別駅(所在地は頓別村)まで開通した宗谷線[2]は、元々枝幸町を経由する予定であったが、計画が変更され音威子府村から頓別村へ直線的に抜けることとなったため、同線の小頓別駅から分岐して枝幸町に達する簡易軌道の敷設が計画されるようになった。

1928年昭和3年)の1月には造材業者が簡易軌道の完成を見越して歌登に入り始めるが、軌道の完成は延期を重ね、同年の11月頃には造材業者も協力し軌道を敷設して材木の搬出を始めていた。1929年(昭和4年)12月にようやく小頓別から上幌別六線(後の歌登)までの路線が正式に開通する。翌年に枝幸までの路線が内務省出資の北海道庁自設で全通した(殖民軌道も参照)。

当初は枝幸殖民軌道利用組合に運営を委託していたが、1932年(昭和7年)から北海道庁直営となる。また、このときは動力を馬力に頼っていたが、1933年(昭和8年)からはガソリン機関車を本線で導入した。しかし、一部支線では最後まで馬力を用いていた。さらに、冬季には積雪のため一部区間で運行を休止していたようである。

戦後、歌登村(1962年〈昭和37年〉1月以降は歌登町)に経営が委託される。1956年(昭和31年)には、鶴居村営軌道とともに簡易軌道では初の北海道開発局による自走客車の導入が行われた[3]。しかし、その後路線は順次縮小し、1971年(昭和46年)には当時建設中であった美幸線とルートの一部が重複することから、軌道を撤去して建設用地に充てるよう日本鉄道建設公団より求められたことで全廃に踏み切った。一方、道路整備や自動車増加に伴って軌道の利用が減少し、累積赤字が増大していた。輸送はバストラックなどに置き換えられたが、結局、美幸線自体も未成線で終わっている。

なお、このような北海道に多く存在した簡易軌道・殖民軌道は市販の時刻表に掲載されていないことが多かったが、この路線はその重要性からか、開業後しばらくしてから廃線になるまで掲載され続けていた。

年表

  • 1929年(昭和4年)12月1日:小頓別 - 上幌別六線間開業
  • 1930年(昭和5年)9月4日:上幌別六線 - 枝幸間開業(枝幸線全通)
  • 1932年(昭和7年)7月10日:北海道庁拓殖部殖民軌道となり、小頓別 - 枝幸間をガソリン機関車により運行開始[4]
  • 1933年(昭和8年)11月10日:上幌別六線 - 志美宇丹間(幌別線)開業[5]
  • 1936年(昭和11年)10月27日:上幌別 - 本幌別間(本幌別線)開業[6]
  • 1948年(昭和23年)4月:毛登別トンネル完成。小頓別 - 毛登別間ルート変更
  • 1948年(昭和23年)7月10日:枝幸線の経営を北海道庁から軌道組合に移管(幌別線、本幌別線は開業当初から軌道組合が経営)
  • 1949年(昭和24年)8月:枝幸線の歌登 - 枝幸間を興浜北線の営業再開(1945年12月5日)に伴い、輸送量が減少したことで廃止。枝幸線を歌登線に改称。1950年(昭和25年)8月に軌道を撤去
  • 1951年(昭和26年)12月1日:経営を歌登村に移管、歌登村営軌道となる
  • 1953年(昭和28年)- 1956年(昭和31年):毛登別トンネルを木造からコンクリート巻き立てに改良
  • 1955年(昭和30年):本幌別線廃止
  • 1956年(昭和31年):自走客車を導入。施設老朽化に伴い、幌別線を運休
  • 1962年(昭和37年)1月1日:歌登町発足に伴い、歌登町営軌道となる。同年から幌別線で路盤整備、木橋の鉄橋化、レール交換などの改良工事を実施
  • 1966年(昭和41年)6月15日:幌別線に自走客車を導入し、運行再開
  • 1968年(昭和43年)12月20日:幌別線を国鉄美幸線建設に伴い運行停止
  • 1969年(昭和44年)5月31日:幌別線廃止
  • 1970年(昭和45年)10月31日:歌登線運行停止
  • 1971年(昭和46年)5月29日:歌登線廃止[7]

旅客列車運行概要

1934年5月1日改正時

  • 列車本数:小頓別 - 枝幸間3往復、幌別 - 枝幸間1往復
  • 所要時間:全線3時間30-40分

1970年6月3日当時

  • 列車本数:小頓別 - 歌登間3往復
  • 所要時間:全線30分

停留所一覧

1939年当時
枝幸線:小頓別 - 毛登別 - 上幌別 - 幌別 - 般毛内 - 一本松 - 金駒内 - 下幌別 - 枝幸
幌別線:幌別 - 幌別六線 - 歌登 - 興生 - 林内 - 北志美宇丹 - 志美宇丹
1965年当時
枝幸線:小頓別 - 吉田 - 毛登別 - 大島 - 柴山 - 熊の沢 - 秋山(本) - 秋山(分) - 中央 - 歌登
幌別線:歌登 - 辺毛内 - 興生 - 北志美宇丹 - 志美宇丹

保存車両

「うたのぼり健康回復村」で保存されているディーゼル機関車(2023年8月14日)

町営「うたのぼり健康回復村」にディーゼル機関車が保存、展示してある。また、歌登市街には当時の車庫がバス車庫として残っている。なお、かつては歌登の軌道事務所跡、志美宇丹の駅舎兼車庫跡が残っていたが、解体され両方とも現存していない。

脚注

  1. ^ 「天北・名寄線廃止」『北海道新聞』北海道新聞社、1989年5月1日。
  2. ^ 1918年当時の名称。その後宗谷本線、天北線と改称され、1989年(平成元年)5月1日に音威子府-南稚内間が廃線となった[1]
  3. ^ この時導入された自走客車は、ディーゼルエンジン搭載ではあるものの、戦後の新製にもかかわらず当軌道・鶴居村営軌道とも単端式気動車であった。ただ、このような時代錯誤的な構造ながら、使用実績は良好で好評であった。増備が要望されたものの北海道開発局の予算の制約で早急な増備は見込めず、当軌道では歌登村が1958年に独自に小型の単端式自走客車を導入したが、この車両は適当なエンジンがなく排気量860ccの日産・ダットサンのガソリンエンジンを使用したため、乗車定員は8名に限られ、出力も不足で実用にならなかった。単端式車両の導入はこの車両までで終わり、その後の北海道開発局による増備車からは両運転台となった。「殖民軌道#車両」も参照。
  4. ^ 鉄道省監督局 編『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』鉄道同志会、1935年、19頁。NDLJP:1190630/102 
  5. ^ 『歌登町史』では「志美宇丹線」と表記されている。
  6. ^ 『歌登町史』では1935年(昭和10年)8月1日の開通とされている。
  7. ^ 「サヨナラ町営軌道 42年の歴史幕おろす」『北海道新聞』北海道新聞社、1971年5月30日。

参考文献

  • 湯口徹『簡易軌道見聞録』プレスアイゼンバーン、1979年9月。 NCID BB16688213 
  • 『歌登町史』歌登町、1980年11月。
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 1 北海道、新潮社、2008年。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「歌登町営軌道」の関連用語

歌登町営軌道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



歌登町営軌道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの歌登町営軌道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS