欧州各国による非難決議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 10:16 UTC 版)
「チベットの歴史」の記事における「欧州各国による非難決議」の解説
ダライラマ法王の平和的な呼びかけにも関わらず、中共当局はチベット人に対する暴力的な弾圧を続けたため、欧州議会は1990年4月25日に非難決議を採択。オーストラリアでは1990年12月6日に中国によるチベット弾圧非難決議を採択した。1990年代に入っても、中共当局は、電気棒、鉄の棒による投打、犬に手足を噛み切らせる、女性を電気棒で犯したり、妊婦を蹴り流産させたり、逆さづり、性的暴行、意識を失った犠牲者への放尿、血液や体液の強制抽出などの拷問を依然行っていた。 1991年4月10日には146人のチベット人が「犯罪者」として逮捕された。オーストラリアは1991年6月6日に非難決議が採択。 1992年2月、武装警察はチベット人の家庭に押し入り、ダライラマの写真やビデオを押収、逮捕者は200人に上った。この1992年に九寨溝、黄竜がユネスコの世界遺産に登録された。チベット初の世界遺産登録物件である。この2箇所はアバ・チベット族チャン族自治州にあり、東チベットのカム地方にある。 1993年5月24日には1万人以上の大規模なデモ行進が行われたが、中共軍によって武力鎮圧された。 1994年にはラサのポタラ宮殿がユネスコの世界遺産に登録された。 1994年の「第三回チベット工作座談会」では中国によるチベット政策が次のように表現されている。 蛇を殺すにはまず頭を切らねばならない。頭を切らねば我々は分離独立主義との闘争に勝利できない。我々とダライラマ一味との闘争は、信教や自治の問題ではない。我が国の統一を確固たるものにし、国民のなかから独立の動きが生まれるのを許さないことである。あらゆる独立の動きを絶えず法律に従って粉砕しなければならない。彼らを殲滅し、厳罰に処すべきである-- また産児制限として、不妊手術なども行われており、これは東トルキスタンでも行われている。
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