核実験実施の背景と影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 23:31 UTC 版)
「インドの核実験 (1974年)」の記事における「核実験実施の背景と影響」の解説
インドの原子力研究はホーミ・J・バーバーが1945年にタタ基礎研究所を開設したことより開始された。1957年には国際原子力機関に加盟し、アメリカやカナダ等の協力を得て、原子力開発を進めてきた。 また、1962年の中印国境紛争及び1964年の中国の核実験成功、1965年の第二次印パ戦争は、インドに核兵器への関心を抱かせた。インドは核拡散防止条約(1963年採択)を不平等条約として、署名していないが、公然とした核兵器開発は制裁の恐れもあり、平和目的技術の一環を目的として、核爆発への研究が行われた。日本政府は、実験に対し非難決議を行っている。 インドはこの核実験を敢行したことにより国際社会から非難の矢面に立たされ、カナダやアメリカは関連機器の輸出規制や技術協力の停止を行った。 国際的にも原子力技術の兵器転用への懸念をもたらし、原子力供給国グループ創設の契機となった。また、インドは原子力関連技術の導入が困難になったため、独自の原子力技術開発を実施するようになった。 インド政府は、実験後、核兵器の保有は行わない旨、コメントしているが、緊張状態にあるパキスタンにとっては、インドの軍事力強化と見るのは明白であった。安全保障的には、この実験以降、インドは核兵器開発能力を有するが、核兵器を保持しないことを政策としていく。 インド政府は、これ以降24年間、核実験を行わなかったが、1998年に再び核実験を行ない、対抗してパキスタンの核実験 (1998年)も生起した。1998年の核実験は、軍事目的のものであり、パキスタンの脅威に対抗する意図があった。
※この「核実験実施の背景と影響」の解説は、「インドの核実験 (1974年)」の解説の一部です。
「核実験実施の背景と影響」を含む「インドの核実験 (1974年)」の記事については、「インドの核実験 (1974年)」の概要を参照ください。
- 核実験実施の背景と影響のページへのリンク