核家屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 21:18 UTC 版)
また、後期後半の加曽利B式期に入ると、集落のある台地の付け根付近を中心に、他に比べて大型の住居が建築されるようになる。この住居は、内部におびただしい数のピットが重複して形成されている検出状況から、長期にわたり同一地点で建て直しを繰り返して存続していたことが解っている。この種の住居の前面には墓域が広がることから、考古学研究者の石井寛により「核家屋(かくかおく)」という概念が提唱され、集落内で墓前祭祀などを司る特殊な存在=村の長(オサ)的な地位にある人物の住居であった可能性が指摘されている。このような「核家屋」は、都筑区内の同時期の集落遺跡である三の丸遺跡(さんのまるいせき)や華蔵台遺跡(けしょうだいいせき)・神隠丸山遺跡(かみかくしまるやまいせき)でも見つかっている。 小丸遺跡は、縄文時代後期社会の様相や中期社会からの変容などを、発掘調査の成果から具体的に明らかにした遺跡として評価されている。
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核家屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 08:22 UTC 版)
港北ニュータウン地域の縄文集落遺跡では、縄文時代後期後半期の加曽利B1式期に入ると、集落の所在する台地の付け根付近を中心に、他に比べて大型の住居が建築されるようになる。この住居は、内部におびただしい数のピットが重複して形成されていることから、長期にわたり同一地点で建て直しを繰り返して存続していたことが解っている。この種の住居の前面には墓域が広がることから、考古学研究者の石井寛により「核家屋(かくかおく)」という概念が提唱され、集落内で墓前祭祀などを司った特殊な存在=村の長(オサ)、あるいは司祭的な地位にある人物の住居であった可能性が指摘されている。華蔵台遺跡の核家屋(16号住居)は、台地の付け根に立地し、10回以上の立て直しが行われていたことが解っている。なおこのような核家屋は、都筑区内の同時期の集落である三の丸遺跡(さんのまるいせき)や小丸遺跡(こまるいせき)・神隠丸山遺跡(かみかくしまるやまいせき)などでも見つかっている。
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