校訂と翻訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:26 UTC 版)
初期の一部を挙げるとシュミットは1837年に『金剛般若経』を翻訳し、1843年に『賢愚経』チベット訳とその翻訳を出版した。フーコーは1847年に『ラリタヴィスタラ』(普曜経、方広大荘厳経)のチベット訳、1848年に同経の仏訳を出版し、1868年に仏伝を仏訳した。 ロックヒルは1883年、チベット語訳『ウダーナヴァルガ』を英訳した。1884年にチベット大蔵経から仏伝を英訳した。1891年には『衛蔵図識』などに基づきチベットの地誌を出版した。 ワシリエフ(英語版)はブリヤート僧などに学び仏教史を出版し、それは独仏語に訳された。その弟子であるセルゲイ・オルデンブルクは1897年に『仏教文庫』 (ビブリオティカ・ブッティカ) の刊行を開始した。『仏教文庫』には『中論』『入中論』『入菩提行論』『倶舎論』などチベット仏教の基本論書をはじめチャンキャ・ルルペードルジェ(英語版)の『三百尊図像集』や『翻訳名義大集(英語版)』などを含む。以上のロシアでの研究は全てゲルクの情報提供者の影響を強く受けたものだが、これらと異なるのがユーリ・ニコラエヴィチ・リョーリフ(英語版)(ドイツ語名ゲオルク・レーリヒ)で、チベット絵画から口語、方言研究を経て11巻の蔵露英辞典を編纂した。また奇才ゲンドゥン・チュンペル(英語版)とともに訳した『青史』は1949年に出版された名訳で、チベット学の基本資料となった。 トゥッチはこの分野でも画期的な業績を残した。1932年から出版された『インド・チベティカ』叢書、1949年出版『チベット絵巻』、1956年から出版された『小仏教文献』叢書に代表されるが、それらは中共による破壊以前のチベットの貴重な記録となっている。
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