林家ライス
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「林家ライス・カレー子」の記事における「林家ライス」の解説
林家 ライス(はやしや ライス、1941年 - 2018年2月24日) 本名∶沼田 志都生。神奈川県横浜市出身。元は落語家で、一時廃業を経て漫才師に転じた。1957年、六代目三升家小勝の門下で「三升家勝丸」を名乗る。1961年に二ツ目昇進。この時に自身の芸能事務所への売り込みをめぐって師匠と衝突し、勝丸側の親族による訴訟騒ぎに発展する。鈴本演芸場の支配人、伊藤光雄の仲裁で一門から抜けさせ、三升(さんしょう) 小粒(こつぶ)と改名し、太平洋子との男女漫才に転向した。1963年に初舞台。このコンビで『温泉巡査』(1963年)、『東京無宿』(1966年)の2作に出演している。1971年に、のちのカレー子と結婚。 1976年、初代林家三平の門下に移り(小勝一門・三平一門もともに八代目桂文楽一門である)、林家 ライスと改名。芸名は、初代三平がハヤシライスが好きであったことから命名したものである。 2018年2月24日11時9分 - 視床出血のため、東京都武蔵野市内の病院で死去。76歳没。娘のまる子が後日明かしたところによれば、死去当日は初めて沖縄へ出張する予定で前日までは元気な様子であった。当日朝、妻のカレー子が起こしに行ったところいびきをかきながら目を覚まさなかったことから病院に救急搬送されたが、既に脳幹への出血も見られ重篤な状態であり、家族・弟子に見守られながら亡くなったとの事である。
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