松竹キネマの時代
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1910年(明治43年)9月11日、静岡県静岡市寺町(現在の同県同市葵区駿河町)に生まれる。『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』(蒲田雑誌社)には「1911年9月1日出生」との旨の記述がみられる。 旧制小学校卒業後、旧制・静岡精華高等女学校(現在の静岡大成高等学校)に進学、1928年(昭和3年)3月、同校を卒業する。東京に移り、同年10月1日付で松竹蒲田撮影所に入社、同年11月25日に公開されたサイレント映画『飛行機花婿』(監督佐々木恒次郎)で映画界にデビューした。同作で主演した斎藤達雄とはコンビとなり、同じ佐々木恒次郎監督による『珍客往来』(1929年)や『裏町の大将』(同年)、清水宏監督による『村の王者』等に主演、多くのコメディ映画に出演した。 1929年(昭和4年)1月、大幹部に鈴木伝明、幹部に岡田時彦、高田稔、結城一朗、斎藤達雄、龍田静枝、筑波雪子が昇進したときに、山内光、浪花友子、青山万里子、及川道子、川崎弘子、谷崎龍子とともに、満18歳で準幹部に昇進した。同年8月1日に公開された清水宏監督の『陽気な唄』に助演、記録の上では、同作で初めて結城一朗と共演したことになる。1930年(昭和5年)1月26日に公開された西尾佳雄監督の『スポーツ精神』、同年2月8日に公開された佐々木恒次郎監督の『黒百合の花』、同年2月22日に公開された清水宏監督の『紅唇罪あり』と立て続けに結城とともに主演、ないしは恋人役を演じた。1933年(昭和8年)8月24日に公開された清水宏監督の『旅寝の夢』に助演したのを最後に、松竹下加茂撮影所へ異動、時代劇に転向した。 1935年(昭和10年)初頭、結城も追って下加茂に異動になり、同年6月27日に公開された衣笠貞之助監督の『雪之丞変化 第一篇』で、数年ぶりに共演している。翌1936年(昭和11年)9月に、6歳上の俳優・結城一朗(本名松崎龍雄、1904年 - 1988年)と結婚、その後、2男1女をもうけた。1941年(昭和16年)には、夫婦ともども、松竹を退社した。
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