松竹キネマの時代とは? わかりやすく解説

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松竹キネマの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 18:45 UTC 版)

花岡菊子」の記事における「松竹キネマの時代」の解説

1910年明治43年9月11日静岡県静岡市寺町現在の同県同市葵区駿河町)に生まれる。一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』(蒲田雑誌社)には「1911年9月1日出生」との旨の記述みられる旧制小学校卒業後、旧制静岡精華高等女学校現在の静岡大成高等学校)に進学1928年昭和3年3月同校卒業する東京移り同年10月1日付で松竹蒲田撮影所入社同年11月25日公開されサイレント映画飛行機花婿』(監督佐々木恒次郎)で映画界デビューした同作主演した斎藤達雄とはコンビとなり、同じ佐々木恒次監督による『珍客往来』(1929年)や『裏町大将』(同年)、清水宏監督による『王者』等に主演多くコメディ映画出演した1929年昭和4年1月大幹部鈴木伝明幹部岡田時彦高田稔結城一朗斎藤達雄龍田静枝筑波雪子昇進したときに、山内光浪花友子青山万里子及川道子川崎弘子谷崎龍子とともに、満18歳で準幹部昇進した同年8月1日公開され清水宏監督の『陽気な唄』に助演記録の上では、同作初め結城一朗共演したことになる。1930年昭和5年1月26日公開され西尾佳監督の『スポーツ精神』、同年2月8日公開され佐々木恒次監督の『黒百合の花』、同年2月22日公開され清水宏監督の『紅唇罪あり』と立て続け結城とともに主演ないしは恋人役を演じた1933年昭和8年8月24日公開され清水宏監督の『旅寝の夢』に助演したのを最後に松竹下加茂撮影所異動時代劇転向した1935年昭和10年初頭結城追って下加茂異動になり、同年6月27日公開され衣笠貞之助監督の『雪之丞変化 第一篇』で、数年ぶりに共演している。翌1936年昭和11年9月に、6歳上の俳優結城一朗本名松崎龍雄、1904年 - 1988年)と結婚その後、2男1女をもうけた1941年昭和16年)には、夫婦ともども松竹退社した

※この「松竹キネマの時代」の解説は、「花岡菊子」の解説の一部です。
「松竹キネマの時代」を含む「花岡菊子」の記事については、「花岡菊子」の概要を参照ください。

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