松竹の劇場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 06:17 UTC 版)
1931年(昭和6年)、常盤座、東京倶楽部とともに改築、このときの建物は、平成の時代に取り壊すまで使用された。当時の金龍館は洋画一辺倒で、1935年(昭和10年)2月14日公開、伊藤大輔のオリジナル脚本を書き犬塚稔が監督した第一映画社作品『煙は靡く』のみが、松竹キネマ配給、同館のフラッグシップで公開された。その後、1942年(昭和17年)4月の戦時統制で、松竹は洋画を配給できなくなり、金龍館でも洋画を上映できなくなった。 1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終結し、金龍館は翌1946年(昭和21年)、「浅草ロキシー映画劇場」と改称した。松竹は1947年(昭和22年)に同館内に「ロキシー興行社」を設立、洋画配給の拠点とした。1949年(昭和24年)3月にはロキシー興行社を解消、本社の洋画興行係が洋画配給を行なった。 1970年代には、洋画の成人映画(洋ピン)の封切映画館となる。1983年(昭和58年)に、本来の「浅草松竹映画劇場」の再開発にともなう閉鎖により、「浅草松竹映画劇場」の二代目となり、松竹映画の封切館になる。 1991年(平成3年)、閉鎖廃業となり、1931年築の建物の解体となった。80年の歴史に終止符を打った。跡地はTOCに売却、再開発され、ROX3となった。
※この「松竹の劇場」の解説は、「金龍館」の解説の一部です。
「松竹の劇場」を含む「金龍館」の記事については、「金龍館」の概要を参照ください。
- 松竹の劇場のページへのリンク