青山万里子とは? わかりやすく解説

青山万里子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/13 22:52 UTC 版)

あおやま まりこ
青山 万里子
本名 内田 ヨネ うちだ よね、出生名
青山 ヨネ あおやま よね、結婚後
別名義 内田 鞠子 うちだ まりこ
江波 マリ子 えなみ まりこ
生年月日 (1901-12-22) 1901年12月22日
没年月日 (1973-10-29) 1973年10月29日(71歳没)
出生地 日本 東京府東京市(現在の東京都
職業 女優
ジャンル 新劇映画
活動期間 1912年 - 1973年
配偶者 青山杉作
著名な家族 内田誠 伯父
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青山 万里子(あおやま まりこ、1901年12月22日 - 1973年10月29日[1])は、日本の女優である。

出生名は内田 ヨネ(うちだ よね)、青山杉作との結婚後の本名は青山 ヨネ(あおやま よね)、ほかに内田 鞠子(うちだ まりこ)、江波 マリ子(えなみ まりこ)とも名乗った[1]

人物・来歴

1901年(明治34年)12月22日東京府東京市(現在の東京都)に「内田ヨネ」として生まれる[1]。伯父に随筆家内田誠がいる[1]

旧制・東京府立第一髙等女学校(現在の東京都立白鷗高等学校)に入学するも、中途退学し[1]、満11歳になる1912年(大正元年)に「とりで社」に参加して新劇女優になる[1]。満13歳になる1914年(大正3年)、新劇俳優の青山杉作と結婚し、「青山万里子」となる[1]

満20歳となる1921年(大正10年)、日活向島撮影所に入社し、映画女優に転向した[1]。同撮影所は女性の役柄を女形に演じさせていたが、第三部を創設し、女優の出演する映画をつくりはじめ、これに出演した。1923年(大正12年)には女優がふつうに出演するようになり、第三部は消滅している。同年9月1日、関東大震災が起きて同撮影所は壊滅し、青山は京都のマキノ・プロダクションに移籍した。1924年(大正13年)、東亜キネマ甲陽撮影所に移籍した。

1927年(昭和2年)、松竹蒲田撮影所に入社、1936年(昭和11年)には同撮影所が松竹大船撮影所に移転、閉鎖するにともない、青山も異動した。

1973年(昭和48年)10月29日、死去した[1]。満71歳没。

おもなフィルモグラフィ

すべて「青山万里子」名義、すべて出演である。

日活向島撮影所

1922年
1923年
  • 『旅の女芸人』 : 監督鈴木謙作 - 同出雲国丸
  • 『三人妻』 : 監督田中栄三
  • 813』 : 監督溝口健二 - 黒須の後妻・綾子
  • 『欺かれた女』 : 監督若山治 - 其の妹ゆき子
  • 『男性の意気』 : 監督若山治
  • 『夜』 : 監督溝口健二 - 保母

マキノプロダクション等持院撮影所

1924年
  • 『超現代人』 : 監督金森万象 - 女中お菊
  • 『忠治愛刀』 : 監督沼田紅緑 - 芸妓〆奴
  • 『争闘』 : 監督金森万象 - その妻桃蘭

東亜キネマ甲陽撮影所

1924年
1925年
1926年
  • 『春の歌』 : 監督賀古残夢 - 重蔵の妻おたよ
  • 『叛逆者』 : 監督根津新

松竹蒲田撮影所

1927年
  • 『美剣士』 : 監督丘虹二 - 磯路
1928年
  • 『美人かし間』 : 監督野村芳亭 - 下宿屋の下女
  • 『男に御用心』 : 監督佐々木恒次郎
  • 『山彦』 : 監督清水宏 - 遠藤夫人
1929年
  • 『万歳』 : 監督斎藤寅次郎
  • 『宝の山』 : 監督小津安二郎 - 麦八
  • 『黄昏の誘惑』 : 監督池田義信
  • 『浮草娘旅風俗』 : 監督清水宏 - 幸作の女房
  • 『ダンスガールの悲哀』 : 監督佐々木恒次郎
  • 『全部精神異状あり』 : 監督斎藤寅次郎 - 下女おしげ
  • 『恋の遠眼鏡』 : 監督佐々木恒次郎
1930年
  • 『進軍』 : 監督牛原虚彦 - お島ちゃん
  • 『押切新婚記』 : 監督成瀬巳喜男 - 女工・ヒデ子
  • 『若者よなぜ泣くか』 : 監督牛原虚彦 - 淑女
1931年
  • 『公認駆落商売』 : 監督佐々木恒次郎
  • 『街の浮浪者』 : 監督池田義信
1932年
  • 『可愛い後家さん』 : 監督斎藤寅次郎
1934年
  • 浮草物語』 : 監督小津安二郎 - 床屋のかみさん
1935年

松竹大船撮影所

1936年
1940年
  • 信子』 : 監督清水宏 - 炊事の婆さん
1941年
  • 『十日間の人生』 : 監督渋谷実 - 雑炊婦
1942年
  • 『すみだ川』 : 監督井上金太郎 - 切符売場の婆さん
  • 『続南の風』 : 監督吉村公三郎
1943年
  • 『家に三男二女あり』 : 監督瑞穂春海 - 仲人の妻
1954年

東宝

1958年

  1. ^ a b c d e f g h i 青山万里子、『講談社 日本人名大辞典』、講談社コトバンク、2010年1月6日閲覧。

外部リンク


青山 万里子(あおやま まりこ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/10 21:20 UTC 版)

マダム・プティ」の記事における「青山 万里子(あおやま まりこ)」の解説

16歳。まだ恋も知らない、純粋で少々お転婆少女父親が遺した借金返済引き換えに、俊の妻となる。

※この「青山 万里子(あおやま まりこ)」の解説は、「マダム・プティ」の解説の一部です。
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