松尾芭蕉の影響とは? わかりやすく解説

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松尾芭蕉の影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 08:24 UTC 版)

冬の日 (小説)」の記事における「松尾芭蕉の影響」の解説

湯ヶ島へ発つ前の1926年大正15年)の冬、基次郎下宿同居していた三好達治と共に松尾芭蕉研究していた。2人注釈書参考芭蕉の『冬の日』抄、『曠野』抄を毎晩のように耽読していた。この時期、基次郎は以下のような俳句詠んだ。 凩やいづこガラスの割るゝ音 それ以前三高時代から、松尾芭蕉紀行文は基次郎にとって座右の書であり、大学入学後1926年大正15年9月中旬にも、友人近藤直人比叡山琵琶湖行って芭蕉の『奥の細道』について語り合っていた。 基次郎は翌1927年昭和2年2月に『冬の日』の前篇発表した後、友人近藤直人への書簡で、〈私の云つてゐました象徴主義なるもの甚だ遅々ながら文中発展してゐることを認めていただければ幸甚です〉と述べつつ、『青空同人新加入した北川冬彦三好達治の詩を推奨し、『青空同人の古いグループについては、〈今アナーキストかポルシェビストか、そんな岐路に立つてゐるやうに思はれます〉として、自分目標を、〈資本主義的芸術先端リヤリスチック シンボリズム刃渡りやります〉と語っていた。 そしてその後段で、松尾芭蕉の句を引き、〈此度冬の日続きは冬が去つて春が来ようとし梅の花の匂のやうなものが街上主人公をつかまへるところを書かうと思つてゐます〉と『冬の日後篇構想触れて実際には暗いトーンのまま終わっている)、芭蕉並んで向井去来の句も挙げながら、〈ナイーヴな、そして下手なユーモアでこれを詠まうとしてゐますが、僕はもう少し烈しくこれを書かうと思つてゐます。少くとも近代的に。どうか待つてゐて下さい〉と告げ芭蕉去来精神の「近代的表現」を目指していたことが看取されている。

※この「松尾芭蕉の影響」の解説は、「冬の日 (小説)」の解説の一部です。
「松尾芭蕉の影響」を含む「冬の日 (小説)」の記事については、「冬の日 (小説)」の概要を参照ください。

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