東洋製糖によるリン鉱山の再開とは? わかりやすく解説

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東洋製糖によるリン鉱山の再開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:53 UTC 版)

北大東島のリン鉱山」の記事における「東洋製糖によるリン鉱山の再開」の解説

南北大東島事業所有権掌握した東洋製糖は、両島での新たな事業展開を進めた北大東島では1918年サトウキビ栽培製糖を、玉置商会時代直営方式から小作制度へと変更した。これは直営では開墾にかかる経費から苗代などサトウキビ栽培にかかる費用まで会社側が負担せねばならないため、小作制度にする方が会社側にとって利益になったためと考えられる。 そして東洋製糖北大東島でのリン鉱山開発に再チャレンジした。再チャレンジ背景には第一次世界大戦時好況支えられ沖大東島ラサ島鉱業所発展があった。1918年ラサ島鉱業所年間182600トンリン鉱石採掘し全盛期迎えていた。ラサ島鉱業所発展刺激受けた東洋製糖1918年4月、かつて玉置商会リン鉱山開発を試みた島の北西部黒部岬と玉置平で探鉱開始し7月専門家招いてリン資源詳細調査行い8月には東洋製糖北大東島責任者である北大東島出張所長らが沖大東島視察行った1918年7月専門家による調査結果リン酸三石灰鉱の埋蔵確認され、更に大量リン酸礬土鉱が埋蔵されていることが判明した東洋製糖1918年11月本格的なリン鉱山開工事開始した北大東島では島の西部風下となることが多く島内北西部リン鉱山に隣接して港湾設備設けるのは荷役上から見て都合が良いという事情もあった。翌1919年5月鉱山設備がほぼ落成し鉱業所の落成式が行われた。しかしこの本格的な鉱業開所鉱量、鉱質について十分な調査検討行わず進められたいわば見切り発車であった当初島内北西端黒部付近リン酸三石灰鉱採掘中心に進め計画であり、鉱山各種設備もその計画沿って建設された。しかしリン酸三石灰鉱の埋蔵量少量であった上に採掘難しく、かつ良質な鉱石少なかった一方リン酸礬土鉱の埋蔵量は豊富であったものの、鉄礬土含有量が多いために肥料である過リン酸石灰製造には不向きであった玉置商会挫折したのと同様に東洋製糖リン鉱山開発も失敗に終わるかに見えた

※この「東洋製糖によるリン鉱山の再開」の解説は、「北大東島のリン鉱山」の解説の一部です。
「東洋製糖によるリン鉱山の再開」を含む「北大東島のリン鉱山」の記事については、「北大東島のリン鉱山」の概要を参照ください。

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