東洋郵船に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 03:43 UTC 版)
引き揚げ船としての就航を終えると一時期海上自衛隊によってヘリ空母への改装が検討されたものの実現せず、結局1957年横井英樹の東洋郵船に売却された。 東洋郵船では1958年(昭和33年)に東京湾遊覧船として就航した後、1959年(昭和34年)~1967年(昭和42年)にはインドネシア ジャカルタ-サウジアラビア ジッダのイスラム教巡礼船やインドネシア国内航路に転用され、この間1959年には北ベトナム(現ベトナム)ハノイ-東京間の引揚げにも従事した。 1970年(昭和45年)10月、解体のため西部興業に売却され、翌11月に広島県三原市で解体されて34年の生涯を終えた。きわめて強い保存運動があったが実現せず、錨の1つは三原市の内港東公園に、錨のもう1つとコンパスは下関市の火の山公園に、鐘が舞鶴市の舞鶴引揚記念館に保存されている。
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