東映・東宝・グリーン劇場とは? わかりやすく解説

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東映・東宝・グリーン劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 15:21 UTC 版)

草津グリーン劇場」の記事における「東映・東宝・グリーン劇場」の解説

この時期に、角正太郎文榮座手放しており、舟木秀之に経営権移り文栄映画劇場改称している。戦後の同館は、長らく混映館であったが、1959年昭和34年)にはさらに草津東映劇場改称東映封切館になったその後東宝子会社関西共栄興行経営変わり支配人当面ひきつづき舟木秀之が行い、興行系統東映東宝の混映となったが、1967年昭和42年)に草津東宝劇場改称東宝封切館になるとともに支配人三宅交代したこの間、同市内では、かつて大正座であった草津映画劇場1963年昭和42年)に閉館市内映画館が2館に減少している。 1972年昭和47年前後には、経営株式会社自由映画(代表・牧田義昌東大阪市)に変わり草津グリーン劇場改称している。支配人山本重勝に交代し興行系統松竹東映東宝日活変わった市内のもう1館、草津第二映劇では、洋画松竹作品興行していたが、1971年昭和46年11月20日封切られた『団地妻 昼下りの情事』(監督西村昭五郎)および『色暦大奥秘話』(監督林功)を期に日活成人映画日活ロマンポルノ)に舵を切り、同館は東映日活成人映画興行するようになり、草津第二映劇では、東宝松竹および洋画上映するようになった1988年昭和63年)、同市内草津第二映劇リニューアルし、草津スターホールおよび草津シネマハウス1・2の3館に増館したため市内映画館が4館に増えている。にっかつ日活)は、同年5月28日公開作を最後にロマンポルノ撤退した1989年平成元年)には、同館を経営していた自由映画株式会社専務取締役であった長井幸雄が有限会社自由映画社を設立、同館はこの新会社経営移っている。支配人山本重勝がそのまま務め興行にっかつのまま続行した1993年平成5年)、閉館した2011年平成23年1月時点の同館跡地は駐車場となっていたが、その後先述草津温泉と共に再開発が行われ、2017年平成29年11月1日サービス付き高齢者向け住宅『ここあ草津』がグランドオープンし、現在に至る。有限会社自由映画社は、2019年平成31年2月現在、映画館については彦根ビバシティシネマのみを経営している。市内映画館は、その後5館に拡大した草津シネマハウス2007年平成19年9月30日閉館し、翌2008年平成20年)にワーナー・マイカル・シネマズ草津現在のイオンシネマ草津新浜町300番地)が開館して、現在に至る(2019年2月)。

※この「東映・東宝・グリーン劇場」の解説は、「草津グリーン劇場」の解説の一部です。
「東映・東宝・グリーン劇場」を含む「草津グリーン劇場」の記事については、「草津グリーン劇場」の概要を参照ください。

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