東映・東宝・グリーン劇場
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「草津グリーン劇場」の記事における「東映・東宝・グリーン劇場」の解説
この時期に、角正太郎は文榮座を手放しており、舟木秀之に経営権が移り、文栄映画劇場と改称している。戦後の同館は、長らく混映館であったが、1959年(昭和34年)にはさらに草津東映劇場と改称、東映の封切館になった。その後、東宝子会社の関西共栄興行に経営が変わり、支配人は当面、ひきつづき舟木秀之が行い、興行系統も東映・東宝の混映となったが、1967年(昭和42年)に草津東宝劇場と改称、東宝の封切館になるとともに、支配人も三宅祐蔵に交代した。この間、同市内では、かつて大正座であった草津映画劇場が1963年(昭和42年)に閉館、市内の映画館が2館に減少している。 1972年(昭和47年)前後には、経営が株式会社自由映画(代表・牧田義昌、東大阪市)に変わり、草津グリーン劇場と改称している。支配人は山本重勝に交代し、興行系統は松竹・東映・東宝・日活に変わった。市内のもう1館、草津第二映劇では、洋画と松竹の作品を興行していたが、1971年(昭和46年)11月20日に封切られた『団地妻 昼下りの情事』(監督西村昭五郎)および『色暦大奥秘話』(監督林功)を期に、日活が成人映画(日活ロマンポルノ)に舵を切り、同館は東映と日活の成人映画を興行するようになり、草津第二映劇では、東宝・松竹および洋画を上映するようになった。 1988年(昭和63年)、同市内の草津第二映劇がリニューアルし、草津スターホールおよび草津シネマハウス1・2の3館に増館したため、市内の映画館が4館に増えている。にっかつ(日活)は、同年5月28日公開作を最後にロマンポルノを撤退した。1989年(平成元年)には、同館を経営していた自由映画株式会社の専務取締役であった長井幸雄が有限会社自由映画社を設立、同館はこの新会社の経営に移っている。支配人は山本重勝がそのまま務め、興行もにっかつのまま続行した。 1993年(平成5年)、閉館した。2011年(平成23年)1月時点の同館跡地は駐車場となっていたが、その後先述の草津温泉と共に再開発が行われ、2017年(平成29年)11月1日、サービス付き高齢者向け住宅『ここあ草津』がグランドオープンし、現在に至る。有限会社自由映画社は、2019年(平成31年)2月現在、映画館については彦根ビバシティシネマのみを経営している。市内の映画館は、その後5館に拡大した草津シネマハウスが2007年(平成19年)9月30日に閉館し、翌2008年(平成20年)にワーナー・マイカル・シネマズ草津(現在のイオンシネマ草津、新浜町300番地)が開館して、現在に至る(2019年2月)。
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