東京府参事とは? わかりやすく解説

東京府参事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:44 UTC 版)

三島通庸」の記事における「東京府参事」の解説

明治4年1871年9月それまで業績認められ高崎五六高崎正風と共に上京命令を受け、10月海路東京に至る。大久保利通計らいにより、11月には六等出仕(奉任官)として東京府庁に参事として入り、これ以後新政府に出仕する。 明治5年1872年1月、叙従六位2月東京中心部大火災焦土となっていた。再建には大蔵省監督下に東京府進めることとなったが、手法巡り対立4月には宮島誠一郎大蔵省暴走阻止するため「国権」「民法」を左院において制定してほしい旨を伝えた5月、東京府参事となる。その後三島府知事由利公正説得、ところが由利7月岩倉使節団に加わるため免官大蔵省建設局主導することとなり、大蔵省大輔井上馨渋沢栄一が、岩倉使節団からの報告によるシカゴ大火復興策参考にしたレンガ造建築計画提唱三島もこれに賛同し大蔵省土木寮の原口祐之らと着工、後に銀座煉瓦街となる。 同年大蔵省権限過度であると問題視する宮島誠一郎内務省 (日本)設置案を政府要人提案。その協議の場に左院議長後藤象二郎副議長江藤新平参事板垣退助陸軍少輔西郷従道と共に三島参加三島設置賛成だった。 10月布告され芸娼妓解放令にも尽力11月、教部大丞となる。同じく教部官僚だった奥宮慥斎とは意見異にした。 同年妻子上京し麹町永田町居住明治6年1873年3月三女三島竹子生まれる。

※この「東京府参事」の解説は、「三島通庸」の解説の一部です。
「東京府参事」を含む「三島通庸」の記事については、「三島通庸」の概要を参照ください。

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