東京府立第五中学校の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:11 UTC 版)
「大正自由教育運動」の記事における「東京府立第五中学校の例」の解説
1918年に創立した東京府立第五中学校(現・小石川中等教育学校) は、信州で新教育を実践してきた新進気鋭の自由主義教育者、伊藤長七を校長に迎え、官立学校でありながら、軍人や官僚の養成を主とせず、生徒の独創的な自己活動を最大限に尊重することを打ち出した。 画一主義の教育を排し、課外活動を教育の中心に据えたことに特徴があった。「立志・開拓・創作」の精神を掲げ、校内には、当時としては最高設備の化学実験室や、本格的な天体観測や気象観測を行う観測所が設けられた。授業は机上の一斉講義ではなく、生徒が自ら行う実験実習が主体とされた。伊藤長七の提案で創設された「転地修養隊」は、都会に暮らす生徒が、農村で人間生活を味わい、農作物の尊さを学ぶという、当時としては画期的な行事で、現在の農村体験の原型である。 自由と感動、独創性を披露する場として、中等教育機関としては初めて、対外に成果を発表する創作展示会(現・創作展)を開催した。今日、全国の中学校や高等学校で行われる文化祭の先駆けとなった。 また、男子しかいなかった旧制中学校に疑問を抱いていた伊藤は「男女共教」を説き、漢文教師として女性の栗山津彌を迎え入れた。これが、日本の中学校における初の女性教師であった。標準服には、自由と紳士の象徴として、中学で初めて背広とネクタイが採用された。
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