来日前後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 06:27 UTC 版)
1890年、ドイツのヴェストファーレン州グロースレーケンに生まれる。 1896年、グロースレーケンのカトリック女子国民学校に入学する。1901年、母が重い病気にかかり、5人の小さい子どもを残して死去。その後、父は再婚する。テレジアは幼少期から、外国に行ってキリスト教の布教、貧しいかわいそうな人々を助けたいと考えていたが、母の教育に影響を受けたものだと、後年振り返っている。 1904年にテレジアは国民学校を卒業する。 卒業後は生家を離れ、レッテ村のフラウ・シューメン家で家庭見習として、数年修行を勤めた。 聖心会(みこころ会)へ入会を志願したが、受け入れられず、傷心の日々を過ごす。 1911年にオランダのシュタイルにある海外布教修道女会である、聖霊会(聖霊奉侍布教修道女会)への入会を許された。2年の修練期を終え、1913年、テレジア22歳の時に日本へ向かうミッションに加わった。9月14日に横浜港に到着し、翌日汽車で秋田県に向かった。 秋田県では、聖霊会(聖霊奉侍布教修道女会)が聖霊学院女子職業学校(現・聖霊女子短期大学付属高等学校)を経営しており、テレジアは専ら併設の育児部で孤児の世話を担当していた。楢山幼稚園・同孤児院に関わる)。この経験が、後のテレジアに大きな影響を及ぼす。 天啓を得て、新しい修道会設立を目指すようになる。1919年、終生誓願を立てるべき日の前日に、6年を過ごした秋田県と修道会を去る。ヨゼフ・ライネルス教区長の導きと指示により、札幌のキノルド教区長を訪ねた。札幌の天使病院で3ヶ月を過ごし、1920年ヨゼフ・ライネルス教区長の命でふたたび秋田県に戻る。
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