本谷のトラフダケ自生地とは? わかりやすく解説

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本谷のトラフダケ自生地

名称: 本谷のトラフダケ自生地
ふりがな ほんだにのとらふだけじせいち
種別 天然記念物
種別2:
都道府県 岡山県
市区町村 津山市南方中
管理団体
指定年月日 1976.06.16(昭和51.06.16)
指定基準 12
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S51-6-038[[本谷]ほんだに]のトラフダケ自生地.txt: 細身生育旺盛なヤシャダケ虎斑がはっきりと虎斑紋をつけている面積198平方メートルトラフダケ自生地で、昭和16年に県指定受けて以来十分な保護管理がなされ、現在では、ヤシャダケともに、ますます繁殖し、その規模次第広がりつつある。
 トラフダケ自生地は、きわめて限られており、学術上の価値も高いので、今回指定して、その保存を図るものである

本谷のトラフダケ自生地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 06:41 UTC 版)

本谷のトラフダケ自生地。2021年3月25日撮影。

本谷のトラフダケ自生地(ほんだにのトラフダケじせいち)とは、岡山県津山市南方中長谷(旧久米町)にある国の天然記念物に指定された竹藪である[1][2]。指定名の本谷とは指定当時の久米町南方中(あざ)本谷より名付けられている[3]

トラフダケ(虎斑竹)の自生地は、当地の西側に隣接する真庭市の自生地3か所が1924年大正13年)に、固有の地名の付かないトラフダケ自生地として国の天然記念物に指定されているが、本記事で解説する本谷の自生地は後年になって存在が確認されたため、1941年昭和16年)に岡山県の天然記念物に指定され、1976年(昭和51年)6月16日に本谷のトラフダケ自生地として国の天然記念物に指定された[1][4][5][6][7]

解説

本谷の
トラフダケ
自生地
本谷のトラフダケ自生地の位置。
虎斑菌が着生した稈。本谷のトラフダケ。2021年3月25日撮影。
虎斑菌が着生した稈。本谷のトラフダケ。2021年3月25日撮影。

本谷のトラフダケ自生地は岡山県北部のほぼ中央にある旧久米郡久米町の南方中(みながたなか)小字長谷、JR姫新線坪井駅より国道181号線を数百メートル東へ行った長谷バス停付近から、南側の山へ分け入った久米川支流の小さな沢沿いにあり[3]、右側には本谷池のため池がある[1]。この付近一帯はかつて大井庄久米北条郡南方中村と呼ばれており、宝暦の頃は幕府領天保以降は津山藩松平家が治めた土地で[1][3]、南側の美咲町との境界にある幻住寺山[8] の北側、標高約180メートル付近にトラフダケの自生地がある[3]

現、真庭市域の自生地が大正年間にトラフダケ自生地として国の天然記念物に指定された後、ここ本谷の自生地が発見され次第に知られるようになり、1941年昭和16年)に岡山県の天然記念物に指定されたが[9]太平洋戦争をはさんで山林の管理が滞り荒廃が進んでしまった[1][5]

1958年(昭和33年)頃より当時の久米町教育長であった牧野邦次らが中心となりトラフダケ自生地の環境改善が図られ[9]、当時は私有地であった自生地を町有地に移管して育成に努め[9]、現、真庭市のトラフダケ自生地とは別件として1976年(昭和51年)6月16日に国の天然記念物に指定(県指定から国指定へ昇格)された[1][4][† 1]

トラフダケは約8アールほどの範囲に自生している[10][† 2]。自生地は林道からやや沢筋へ下った場所にあり[11]、周囲は背の高いスギ植林地になっているため、タケへ直接当たる日照時間が少なく、付近一帯は湿度が保たれやすい虎斑菌発生にとって好条件の環境なっている[1][11]2001年平成13年)11月の調査では約5メートル×30メートルの範囲に約600本のヤシャダケが生育しており、そのうちの30本の稈に虎斑が出現していることが確認されている[12]。植林されたスギ以外にもアカメガシワサルトリイバラなどが混生し[12]、下草にはツルウメモドキリョウメンシダフユイチゴアケビなど[13] が適度に茂り湿潤な環境が作り出され[14]、比較的若い稈(かん)にも虎斑菌の着生が認められ、全般的に良好な状態を保っている[15][16]

交通アクセス

所在地
  • 岡山県津山市南方中236-2[10]
交通

脚注

注釈

  1. ^ 岡山県文化財総合調査報告書13(天然記念物編)久米町(1977年)によれば各指定の年月日は、旧県指定昭和16年3月18日、県指定昭和35年4月26日、国指定昭和51年6月16日である。
  2. ^ 指定地に設置された久米町教育委員会による解説版によれば面積は1アール、文化庁データベースによれば約198平方メートルとあるが、本記事では津山市ホームページに記載された値を記載する。

出典

  1. ^ a b c d e f g 加藤編、室井綽(1995)、p.543
  2. ^ 久米町教育委員会(1992)、p.10。
  3. ^ a b c d 岡山県教育委員会(1977)、p.7。
  4. ^ a b 本谷のトラフダケ自生地(国指定文化財等データベース) 文化庁ウェブサイト、2021年4月20日閲覧。
  5. ^ a b 本谷のトラフダケ自生地(文化遺産オンライン) 文化庁ウェブサイト、2021年4月20日閲覧。
  6. ^ a b 本谷のトラフダケ自生地 岡山県庁 (PDF) 2021年4月20日閲覧
  7. ^ 津山市の国指定文化財一覧 平成27年4月1日現在 (PDF) 津山市役所 生涯学習課 2021年4月20日閲覧。
  8. ^ 幻住寺地域 岡山県庁自然環境課 2021年4月20日閲覧
  9. ^ a b c 岡山県教育委員会(1977)、p.8。
  10. ^ a b 本谷のトラフダケ自生地 津山市役所ホームページ 2021年4月20日閲覧
  11. ^ a b 蒔田(1999)、p.19。
  12. ^ a b 片山(2002)、p.19。
  13. ^ 片山(2002)、pp.19-20。
  14. ^ 川床(1998)、p.2788。
  15. ^ 蒔田(1999)、p.20。
  16. ^ 片山(2002)、p.20。

参考文献・資料

  • 蒔田明史、1999年6月15日 印刷発行、『竹文化振興協会 会誌「竹」第68号/トラフダケ』、竹文化振興協会 財団法人竹文化振興財団
  • 川床邦夫 たばこと塩の博物館調査役「岡山のトラフダケ自生地を訪ねて」『たばこ史研究』第64巻、たばこ総合研究センター、1998年5月、2786-2794頁、ISSN 0287668X全国書誌番号:00038176 
  • 片山久「岡山トラフダケの現状」『富士竹類植物園報告 = The reports of the Fuji Bamboo Garden』第46巻、日本 竹笹の会、2002年8月1日、15-24頁、ISSN 02873494全国書誌番号:00020835 
  • 加藤陸奥雄室井綽、1995年3月20日 第1刷発行、『日本の天然記念物』、講談社 ISBN 4-06-180589-4
  • 岡山県教育委員会、1977年8月 発行、『岡山県文化財総合調査報告書13(天然記念物編)久米町』、岡山県教育委員会
  • 久米町文化財保護審議会、1992年3月31日 発行、『久米町の文化財』、久米町教育委員会
  • 山陽新聞社編集、1980年1月3日 発行、『岡山県大百科事典 下巻』、山陽新聞社

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度3分17.2秒 東経133度52分51.3秒 / 北緯35.054778度 東経133.880917度 / 35.054778; 133.880917



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