本成寺 (古河市)とは? わかりやすく解説

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本成寺 (古河市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/11 13:25 UTC 版)

本成寺
所在地 茨城県古河市横山町3-10-43
位置 北緯36度12分06.652秒 東経139度42分18.781秒 / 北緯36.20184778度 東経139.70521694度 / 36.20184778; 139.70521694
山号 長久山
宗派 日蓮宗
創建年 正和3年(1314年
開基 日印上人
中興年 延宝年間(1673年1680年
中興 日禎上人
正式名 長久山 妙光院 本成寺
文化財 法清院殿の墓(市指定・史跡)他
法人番号 8050005005718
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本成寺(ほんじょうじ)は、茨城県古河市横山町(五丁目)にある日蓮宗の寺院。正式には、山号を長久山、院号を妙光院、寺号を本成寺という[1]。旧本山は、大本山本圀寺(六条門流)。小西法縁。

歴史

鎌倉時代正和3年(1314年)、日印上人鎌倉に開基したのち、天文年間(1532年1555年)に下総国猿島郡伏木村(現在の茨城県境町森戸)に移転し、さらに江戸時代慶長7年(1602年)、古河城下北端の現在地に移転したとされる[2][3]

なお、江戸時代の古河移転に関しては、延宝年間(1673年1680年)、古河城主・土井利益の母・法清院の菩提を弔うために、法清院の兄弟であった日禎(にっしん)上人により伏木村から移されたとも考えられている[1] [4]

境内

赤く塗られた山門が目を引く。本堂のほか、瘡守稲荷、鬼子母神堂、三十番神堂がある[1]

後述する法清院の墓・河口信任の墓・小出重固の墓の他に、明治期の文化人・武藤松庵の墓がある。武藤松庵は天保10年(1839年)に古河で生まれ、池坊総華督として華道の全国普及に尽くしたほか、写真術を習得し、明治3年(1870年)に取り壊し直前の古河城の写真を残した。大正3年(1914年)没[2][5][6]

文化財

  • 法清院殿の墓:古河藩中興の名君として知られる土井家第5代土井利益 の母である。堤家の祖となる中川貞長の長女。慶安元年(1648年)、土井利隆との間に利益を生んだが、慶安5年(1652年)、22歳で亡くなった。石囲いの立派な墓であり、利益が幼いころに亡くした母に対する思慕の情の深さを表している。古河市指定文化財(史跡)[7]
  • 河口信任の墓:江戸時代蘭医古河城主・土井家の藩医であり、日本で初めて自らの執刀にて人体解剖を行い、2年後の明和9年(1772年)にはその成果を『解屍編』として刊行した。元文元年(1736年)、土井家が唐津城主のときに生まれ、宝暦9年(1759年)に長崎遊学、同12年(1762年)栗崎流外科奥儀の免許皆伝を得たのち、同13年(1763年)の土井家古河移封に随行した。鷹見泉石らに蘭学を指導し、古河藩における蘭学振興の基礎を築く。文化8年(1811年)没した。墓は古河市指定文化財(史跡)[8]
  • 小出重固の墓:江戸時代の古河藩士。安永元年(1772年)、古河に生まれた。幼名「友之助」、通称「信左エ門」「三太夫」。天明4年(1784年)より出仕し、土井利厚の老中時代に江戸詰公用人を勤めた。藩の役職としては家老に次ぐ公御用人にまでなったが、文化9年(1812年)に引退して古河に戻り、文政3年(1820年)に隠居した。「松斎」あるいは「翠庵」と号し和漢の学に通じていた。江戸詰のときには国学者の清水浜臣に和歌を学んでいる。特に歴史を好み、隠居後は古河藩領内の寺社・古文書・説話を調べ歩き、天保12年(1841年)、地誌古河志を著して、古河城主・土井利位に献上した。嘉永5年(1852年)没。墓は古河市指定文化財(史跡)[9][10]
  • 本成寺木造三十番神像:法華経を1日交代で守護する神「三十番神」の像である。三十番神像が全て揃っている寺は全国にも数少ない。古河市指定文化財(歴史資料)[11]

交通

脚注

  1. ^ a b c 『古河市史 民俗編』 835-836頁
  2. ^ a b 『城下町 古河を歩く』、30頁
  3. ^ 創建に関する異説として、『古河志』における「本成寺」の解説には、「鐘銘に嘉暦3年(1328年)日印上人により開基」とある。(『古河市史 資料 別巻』271頁)
  4. ^ 『古河志』・「本成寺」(『古河市史 資料 別巻』271頁)
  5. ^ 『古河市史 通史編』 582-583頁(古河城の破壊)
  6. ^ 『古河市史 通史編』 657頁(武藤松庵)
  7. ^ 『古河市の文化財』 75頁
  8. ^ 『古河市の文化財』 73頁
  9. ^ 『古河市の文化財』 74頁
  10. ^ 『歴史の散歩―鷹見泉石と古河藩―』 12頁(小出重固の「古河志」で旧藩領を行く)
  11. ^ 『古河市の文化財』 60頁
  12. ^ 駅西口前「花桃館」(まちなか再生市民ひろば)にて

参考文献

  • 石川治 著・古河歴史博物館 編『歴史の散歩―鷹見泉石と古河藩―』 古河市、平成8年(1996年)
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 資料 別巻』 古河市、昭和48年(1973年)
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、昭和63年(1988年)
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 民俗編』 古河市、昭和58年(1983年)
  • 古河市文化財保護審議会 編 『古河市の文化財』 古河市、平成5年(1993年)
  • 古河の都市観光を推進する会 編集・発行 『城下町 古河を歩く』、平成19年(2007年)



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