本川の洪水氾濫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:35 UTC 版)
かつての六角川はしばしば破堤氾濫を起こしてきた。六角川本川の両岸に限って(牛津川を除いて)も、1953年(昭和28年)6月、1967年(昭和42年)7月、1980年(昭和55年)8月、1990年(平成2年)7月などに洪水被害が発生している。1953年の洪水は本川上流部で氾濫の後、現武雄市の潮見、大日付近の数か所で破堤して東に拡大、牛津川の洪水と合流し広い範囲を数日間浸水させた。1980年と1990年にはいずれも、武雄市橘町や北方町で破堤・越水が起こり、武雄市東部から北方町、大町町、江北町、白石町、福富町、芦刈町、牛津町に亘る平野部の広範囲が浸水した。1980年は河川からの洪水、1990年は洪水に内水停滞が加わる形。1990年の被害は、流域合計で死者1名、家屋の床上浸水約3,000戸、床下浸水約5,700戸、浸水面積約1万haに上り、河口の住ノ江橋における推定流量約2,200m3/sは戦後最大となっている(2020年時点)。 昭和初期から県の事業として築堤や川底の浚渫が行われた。1966年(昭和41年)に一級河川に指定されるが、その8年前から国庫補助のある直轄事業として堤防改良、川幅拡幅の整備が進められた。その後、1980年(昭和55年)の洪水被害後は国の”河川激甚災害対策特別緊急事業”(激特)指定を受けて計画高水位までの無堤箇所を解消したが、1990年再びの洪水被害を受けて2度目の激特指定、拡幅や排水機場増強、牛津川中流に牟田辺遊水地建設が行われた。
※この「本川の洪水氾濫」の解説は、「六角川」の解説の一部です。
「本川の洪水氾濫」を含む「六角川」の記事については、「六角川」の概要を参照ください。
- 本川の洪水氾濫のページへのリンク