本事件容疑における逮捕後の捜査
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「マブチモーター社長宅殺人放火事件」の記事における「本事件容疑における逮捕後の捜査」の解説
松戸東署捜査本部は2005年10月22日、逮捕容疑の強盗殺人容疑などで被疑者Mを千葉地方検察庁に送検した。 被疑者Mは、取り調べに対し容疑を認めた上で「死刑になってもいい」などと述べ、反省している様子を見せており、取り調べに対しても素直に応じ、「小田島に従って犯行に及んだ」という趣旨の供述をした。捜査本部は、被疑者Mの供述の裏付けを慎重に進めた。 一方、小田島被疑者は「私は関係ない」と、この時点でも依然として容疑を否認していたが、同日には前述のように『小田島が拘置中の2005年5月、Mに対し手紙を送っていた」ことが判明した。捜査本部は、前述の「千葉に行くかもしれないが、大丈夫」という記述について、小田島がMに対し「『千葉県警に呼ばれても、自分は何も供述しないから大丈夫だ』という意図を伝え、お互い本事件について供述しないようにと求めた」ものと推測した。また、「養子縁組を求める記述については、Mに対し、仲間意識を強めるよう求める内容だ」と推測した。 また、2人が事件前に同じ宮城刑務所に服役していた頃から、企業経営者の資産ランキングなどを掲載した雑誌を参考に東京近郊での強盗計画を練っていたことや、過去に練馬三億円事件で服役していた小田島は、複数の同房の受刑者に対し「(以前捕まったのは)被害者を生かしておいたのが失敗だった」と漏らしていたことも判明した。 2005年10月23日までの取り調べで、被疑者Mは「宅配業者を装って押し入り、長女Bをいきなり羽交い絞めにし、粘着テープで目・口をふさいだ。自分は妻Aを見張りつつ、小田島がBに金品のありかを聞きながら、1・2階で室内を物色した」と供述したため、捜査本部は裏付けを進めた。 その一方で2人は腕時計・指輪など計10点966万円相当を奪ったが、馬渕邸には事件後も多数の宝石類や現金・金の延べ棒などが残され、2階にあった金庫も無事だった。この点について捜査本部が調べたところ、「小田島に脅されて金品のありかを教えたBは、金庫の開け方・金品の保管場所についてあまり詳しくなかった」ことが判明した。このことから捜査本部は、小田島らはこれらの金品を発見できないまま2人を殺害し、馬渕邸に放火・逃走したものとみて捜査した。 2005年10月24日、小田島・M両名は事件の半月後、不正取得したパスポートを用い、フィリピンに渡航していたことが捜査本部の調べで判明した。2人は2002年8月20日から11日間フィリピンに滞在し、2005年1月に群馬県警に逮捕されるまで、小田島は10回以上、Mも5回前後、フィリピンに渡航していた。 2005年10月28日、松戸東署捜査本部の取り調べに対し、被疑者Mは「放火に使うため、燃料を事前に群馬県内のホームセンターで購入した」と供述した。それまでの現場検証では長女の遺体が発見された2階寝室でガソリン・オイルの混合燃料が発見されていたが、この燃料は主に草刈り機に使われるもので、「小田島ら2人は、当初から証拠隠滅のため、馬渕邸を放火する計画の上で、犯行に及んだ」という線が強まった。 また、馬渕邸を標的に選んで押し入った理由について、被疑者Mは「雑誌で関東近辺の資産家を数十か所選んだ」と供述していたことから、捜査本部は「2人が複数個所を下見した上で、犯行場所を選んだ」とみて、詳しい経緯を追及した。このほか、他人名義のパスポートを不正取得した旅券法違反容疑で逮捕された事件について被疑者Mは「犯行後、海外に高飛びするつもりだった」と供述した。
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